諸行無常、諸法無我

人はなぜ変わるのだろうか?なにも他人ごとではない。自分自身が若かりし頃から見て随分と変わったとつくづく思うからだ。直ぐ妥協できる?ようになってしまったし、「そんなものかもね」といやに素直に理不尽な物事に納得できるようになってしまっているような気がする。良く言えば丸くなった?・・・のだろうか。ちょっと悲しい気もする。
今日は6月15日。ちょうど今から50年前の今日(1960年6月15日)日米安保条約改正に抗議する学生デモ隊と警官との衝突で一人の東大生,樺美智子さんがなくなった日だ。当時自分はまだまだ物心つかない幼児であったから実際に知る余地もなかったわけだが、その後のテレビで幾度となくこのデモ隊と警官隊との衝突を子ども心に見てきた。そしてそんな時にいつも画面のバックに流れていたのが「アカシアの雨が止む時」、あるいは「フランシーヌの場合」だった。これらの歌も意味も分からずによく小学校で口ずさんでいた記憶がある。。(ちなみに一番好きだった歌詞がフランシーヌの「♪本当の事を言ったら、おりこうになれない~♪ この歌詞がやたらに気に入って口ずさんでいたのを思い出す:爆) 実際にはアカシア~はこの年の翌年1961年であり、フランシーヌは1969年であるからリアルタイムに流れていたわけでは無かったろうが、あまりにもその時代(その直後)に流行ったアカシアであり、一方のフランシーヌはパリの焼身自殺(ある女性がベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺した)と前出のデモで亡くなった樺美智子さんを関連づけて69年の今日、6月15日に発売されたという。この時は確か三里塚闘争の起こりだったと思う。みなまわりの大人たちや若者が真剣に国の事を考えていたような気がする。とにかく、みな生真面目に必死にこの国を良くしようとしていたような気がする。子どもはこう言った事は理屈ではなく肌で感じているのだ。そしてそれが子どもたちの社会や世の中への姿勢となって将来再生産される。
こんな事を考えながら新聞を読んでいると、ちょうどこの日米安保闘争の時にデモに参加していた一人に当時東大の一年生だった江田五月がいるという記事があった。この人物とは過去に自分が高田馬場に住んでいたときに駅前でなんとなく立ち話した事がある。たわいのない話だったのだが、いろんな素朴な疑問をぶつけてみた事がある。とても物穏やかなで好感のもてる人物だった。地味だが芯があったような気がした。一つ一つの疑問に丁寧に答えてくれたという記憶がある。あれから20年近くたった。そして安保闘争から50年。この人物も参議院議長などを経験してメインストリーム(主流)の道を歩んできた。するとどうだろう参院議長だった時期、彼の政治収支報告では、浅草のキャバクラなどに30回近くの出費、合計で200万円以上のお金を政治資金で支払っていたという。学生時代の彼がこういった政治家を見たらどんなに憤って行動を起こしていただろうとついつい想像してしまう。金と地位はやはり人を変節させるのだろうか。管首相にしてもそうだ。なんだか最近どうも全共闘世代の納得いかない変節が多くみられる。だが、しかしこういった変節に徐々に自分の中に込み上げてくる「怒り」が密かにうれしいような気もまたする。まだまだ結構怒れるかもしれない(笑)

2010-06-15 07:44 | ひとりごと | コメント(2)

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