演者の質、観客の質: ハーバード大学の授業をみて

実は昨日のハーバードの授業後半は、何故かいつもはにこにこ顔でハッピーな4か月の娘が、珍しく虫の居所が悪かったらしくてなかなか私をテレビに集中させてくれなかった(汗)。今一度ビデオにてじっくり楽しませてもらおうと思う。それにしても懐かしいキャンパス風景だった。妻が三年間ここで教えていたので、私も滞米最後の半年をケンブリッジで過ごし、ハーバード大学の図書館で論文のリサーチをしていた。そして、なによりも息子がこの大学の病院で生まれ、ベビーカーを押しながらよくこのキャンパスを散策した。
さて、番組を見ていてつくづく感じた事は(その行われた授業が劇場であった事にも起因するのだろうが)学生=観客としてのアメリカ人の質であった。今でも初めてアメリカで舞台をした30年ちかく前の衝撃を覚えている。そのリアクションが積極的かつ貪欲で驚いた。何でこんなに反応するのかと思わせるくらい相手がその能動的反応で「楽しもう」として笑ってくれるのだった。そのおかげで演じている自分まで知らぬ間にいつもの自分でないくらいの動きができたり、その「間」が冴えてくるのが感じられるのだ。つまり観客が舞台上の演者を育ててくれるという事実を初めて30年近く前にこの身で知った。同じ事を同じように日本の観客の前でやった時の逆カルチャーショックもまた体感記憶に残っている(苦笑)。
こういった態度はもちろん幼少のころから自分らの周りの大人達の反応をうかがい見つつ、そしてはぐくまれてくるものなのだろう。つまりは昨日の授業のおおよそ半分の担い手は学生達ではなかっただろうか。正直な事を言えば、昨日の学生たちの反応は自分の経験からしてみればまだまだ鈍いくらいだった。だが、これはテレビカメラが入っているという事へのある種の意識や、実際の授業の難解さ、レベルの高さに起因する事も事実だろう。あれほどの内容にもどしどし挙手しつづける風景は日本では考えられない。やはりあっぱれハーバードだ。あのマンモス授業にしてもそうなのだから、ましてや普通サイズのクラスなどはより凄くなる(お断りしておくが、勿論全てのクラスでこうなるわけではなく、アメリカでも中には退屈なレクチャーを繰り返す教授、学生が居眠りするクラスもある)。
自分は前回は約3年半に渡り教育演劇のクラスをウィスコンシンで教えていたが、中途半端な準備で授業に臨むと大変な事になる。必ず色々と質問攻めにあって突っ込まれるのだ。だが、だからこそ授業テーマに関する話題が膨らみ、自分でも意図していなかった関連性のある面白いネタが質問によって引き出されてくるのだった。あっぱれアメリカの学生気質だった。翻って日本の大学での講義は「ごまかし」が聞くのも事実なのだ。(言っておくが私はごまかしはしていない爆)つまり、学生達はひたむきにうつむきながら真面目にノートを撮り続けるのだが、質問をかなり執拗に仕掛けない限りはあまり積極的な問いかけをする者は非常に限られた一部の学生のみだ。
もちろんサンデル教授の授業マネージメントにも目を見張るものがあった。形而上学から入り、それに関連する興味を引くような日常の具体例をどしどしあげて必ず机上の空論では終わらせない。そしていちいち学生の名前を聞き、たとえ勘違いな回答にもそれなりの評価をしつつ具象例を検証する。(ただ一体どうやってこの授業の成績をつけるのかも興味ある疑問であった・・・・汗)
まだまだ沢山の感想はあるが、本当に不思議なのがこういったクラスも日本の基礎学力のクラスも大学でのクレジット(=単位)として同等に扱われるという事実だ。そして学士という称号がやがてこういったクレジットの集積に与えられる。(もちろんその大学のネームバリューでかなりその価値もちがってはくるだろうが)。だがしかし、大学の授業としての質の高さには本当に圧倒されるし、もっと「アメリカで学びたい」という昔もっていた願望を今一度刺激されるものだった。
最後に蛇足として一つだけ自慢させて頂ければ、私の妻はこのハーバード大学で三年間日本語クラスを教え、やはり凄い人気があった。三年間優秀教師として表彰されつづけた!!彼女の机の壁にはその「かっこいい」表彰状が今でも飾られている!!でもそんな彼女でも日本では常勤の仕事を見つけるのは難しいのが現状だ。なぜだろうか。教師の資格とは論文数だろうか、学位だろうか、学会発表の多さだろうか?それとも・・・・?

2010-05-17 06:46 | つれづれなるままに | コメント(3)

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