またまた忙しさにかまけてブログが滞ってしまいました。さてさて前回のお約束をまもりましょう。映画「天井桟敷の人々』のお話です。映画自体は19世紀前半フランス、パリのタンプル大通り(俗称、犯罪大通り)を舞台に、様々な芸人や取り巻きの生きざまを描いた物語です。
勿論、この映画の恋愛物語は架空のものでありますが、主人公のバチスト(ジャン・ガスパール・デビュロー)や、この場末の劇場地区の時代設定、そしてバチストが演じることによって当時のパリに巻き起こされたピエロブームは歴史的な事実なのです。19世紀の前半まで、フランスやイギリスの道化芝居はイタリア喜劇の絶大なる影響下にありました。そしてその道化芝居の中心はイタリア即興喜劇、コメディア・デラルテの中心的キャラクターのアルルカン(またはアルレッキーノ)でした。そのアルルカンの役柄というのはドタバタ喜劇の中心で、ある種サディステックな笑いを得意としていました。この道化芝居の中で比較的マイナーであった「ペデロリーノ」というキャラクターを自らの創造で一躍「ロマンチックなピエロ」としてパリのヒーローにしてしまったバチストの物語がこの天井桟敷の人々の土台になっています。
当時のパリでは主に絶大な人気を誇るイタリア喜劇からフランスの体制側の演劇を守るという大義名分のため、(もちろん反体制運動規制の意味合いも大きかったのですが)、政府の認可を受けたごく一部の劇団しか正当な台詞劇を演じることができなかったのです。なんだか可笑しな現象ですよね(笑)。そしてその他の場末の劇場は台詞を使う劇は一切許されず、その上様々な、実に奇妙な規制が強要されていました。例えば、舞台に出るときには逆立ちやトンボ返りをしながら出ないとならないとか、ひどい時には紗幕の裏側でしか劇を演じることができなかったという例もあるほどです。(そして統治者が変わるたびにこの規制が変わることも頻繁にありました)。つまり台詞を禁じられた劇場が生き残る術は台詞の代わりに曲芸、アクロバット、パントマイムなどを上演するほかにありませんでした。バチストの所属していたフュナンブル座もこういった弱小劇団の一つだったのです。(映画の中で舞台袖のギャランスに心を奪われているバチストをみて、いたたまれなくなった座長の娘でバチストの許嫁が、「バチスト!!」と声をあげてしまったシーンが大騒ぎになりましたね。これはこの時代背景を知っていて初めて事の重大さが分かります。つまり台詞を喋ったらややもすると当局から劇場封鎖の懲罰をくらってしまうのです!)
この映画の主人公バチストは実在の人物であり、1796年ボヘミアで旅周りの芸人の一座の長男として生まれました。この一家はヨーロッパ放浪の末、パリのフュナンブル座に雇われることになりますが、もともと不器用なバチストは専らマイナーな道化役を演じていたそうです。ところが1818~9年のシーズン中に(映画でもあったように)あるチャンスがやってきたのです。それまでにマイナーな役であるピエロを演じていた役者がある事件を起こし、その穴埋めの為にやむを得ず代演させられた彼のピエロが大ブレークしてしまったのです。彼の作り上げたピエロというキャラクターはそれまでには無かった独特なものでした。白い長い上着をまとい、白塗りで恋にやつれた哀愁漂うピエロでした。(つまり現在私たちがピエロに対して抱くイメージというのはこの時代に作り上げられたのです。) パリ中の人々が彼のピエロを絶賛するようになり、それ以後ピエロというキャラクターがすっかり道化芝居の中心的存在になったのです。
特にその舞台に魅了された様々な文化人たちはそれぞれの分野でピエロを絶賛し、絵画や詩や彫刻作品として残したりしました。代表的な人物には前回お話したロマン派の詩人たちがいます。シャルル・ノディエは自らの仲間たち、バルザックやヴィクトル・ユーゴなどの文人たちを誘って劇場に足繁く通い、彼の為に脚本を書いたりしたそうです。結果、ピエロは様々な芸術分野のモチーフとしてもその舞台上のキャラクターとしてもパリ中に満ち溢れ、パリはパントマイムの全盛期を迎えたのです。ここで重要なのが、この様々な政府の規制の網を潜り抜け、しかも観客にアピールする為にバチスト達が用いたのが従来のマイム(様々な雑種劇の総称でドタバタ中心)とパントマイム(沈黙の動きを中心とするダンス的な語り芸)の合体だったのです。この時代に歴史上初めてマイムとパントマイムが有機的に融合されたのです。
ちなみにこの映画はバチストの没後100周年というタイミングで作られました(没1846年)。もう一つこの映画がマイムにとり貴重な理由があります。このバチストを演じたのがパントマイムの名手であったジャン・ルイ・バローであり、彼は見事なパントマイムを映画の中で演じています。また彼の父親役を演じているのはバローをパートナーにして現代マイムの動きの基本文法を作り上げた「現代マイムの父」として知られるエチエンヌ・ドクルー(マルセル・マルソーの師匠)なのです。
(写真下は『天井桟敷の人々』におけるエチエンヌ・ドクルー[写真右]とジャン・ルイ・バロー[写真左])
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