今朝facebookにてLAの芸術学校で教授をしているニューヨーク時代の旧友からチャットが入り、ロスの話で盛り上がった。その中で実に懐かしい地名がたまたまでた。「ランチョ・ホンドー」という如何にもスペイン系の名前の地名だ。1980年に自分が初めてアメリカの本土に足を踏み入れた時、ニューヨークの大学へ行く道中だったのだが、実はもう一つの目的があった。それは自分が幼いころから祖父や母親に聞かされ続けてきた話に関連する事だ。祖父の叔父にあたる藤吉さんという人が明治時代にアメリカに単身渡ったのだ。それ以後本家(つまり私の家族)との手紙でのやりとりが続いたそうだ。ある時祖父がまだ少年のころ、大病をし、その叔父がアメリカより送ってくれた薬で命拾いをしたことがあるという。その叔父がなぜか第二次大戦のころから消息をたっていたのだ。もちろん戦時中、日本人は強制収容所に収容されていたわけだが、終戦後も音沙汰がなかったのだ。自分はその叔父の話を幼少のころから何十回となく聞かされ続けて育った。「もし、おまえが大人になってアメリカへ行くような事があれば・・・」と。
そんな背景があり、いよいよ自分アメリカへ渡るチャンスが来たのだ。当時21才の貧乏学生だった自分は、アメリカ大陸も見てみたい一心で、あえてロスへ飛び、そこからグレーハウンドバスでニューヨークまでを大陸横断する予定でいた。夜、宿泊費を浮かす為にバスの中で寝て、そして翌朝ついた街を昼間散策するのだ。そんな予定で到着したロス。そこでの最初の目的は、例の祖父の叔父さんの行方探しだった。当時そんなに英語だって自由には使えなかったし、まったくあてがあるわけでもなかった。唯一の手掛かりが叔父から最後に来た手紙の住所、「ランチョ・ホンドー」とその日付。必死に人々に聞きまわり、ようやく訪れたのがロスアンジェルスのCity Hall, つまり市役所。そこで死亡届けを確認することだった。何しろそのころはまだデジタル化などされていない膨大な資料を、叔父からの最後の手紙の日付を頼りにそれ以後の死亡届を一年ごとに片っ端から調べつづける作業は気の遠くなるような仕事だった。
探し始めてから一時間くらいたったころ、自分の目にTokichi Fujikura という叔父の名前が飛び込んできた!えっ?本当に?その書類を片隅から調べてゆくと叔父が埋葬されている筈の共同墓地の名前が書いてあった。Evergreen Cemetery ロスの郊外の墓地だ。早速その書類のコピーを片手に道端で人々に聞きまわり、知らない街のバスを乗り継いでやっとの思いで辿り着いた。その共同墓地の管理人は日系人の優しそうなおばさんで、訪問の理由を告げると「こんな時代になってもあなたのような人が訪れることがあるんだね。」と驚きながらいろいろ話してくれた。そのおばさんの話によると第二次大戦直後にそれはそれは大量の遺体の処理があり、多くがまとめて埋葬され一緒に処理されたという。ただその管理人の多くが日系人だったために日本人の遺骨のみを別の保管所に配置したらしいのだ。その保管場所にいくと多くの日系人、日本人の遺骨の箱が並んでいる一角に叔父の遺骨の入った箱が保管してあった。その中に骨壷と一緒に当時の新聞の切り抜きやら埋葬届等の書類が入っていた。それによると埋葬はロスの市内にあるFukui service という葬儀屋さんで、当時の新聞(日系人の新聞)によりと叔父の藤吉さんは俳句が得意で句会に所属しており、埋葬後、同郷の仲間が遺骨を日本に送り届ける予定だという。ところがどうやらその同郷の友人も間もなく他界してしまったそうなのだ。
さてさて興奮している自分の耳に飛び込んできたのが「遺骨を国外に持ち出す許可を取得には最低一年くらい掛かるかも知れない」との事であった。ところがその手続きをいざ始めようとして驚いた。実はその同郷の友人が既に遺骨の海外持ち出しの申請をして、許可を得ており、その書類が保管されていたのだ!!しかも、その書類はいまだ有効であり、唯一自分がその申請者として名義変更し、サインをするだけであったのだ。まるでその書類は自分のサインを待っていたような・・・初めてのアメリカ大陸上陸はこんな大イベントで幕を開けた。 手続きを終え、葬儀屋さんをでたころには夕暮れになっていた。家族に国際電話を入れると(当時は祖父祖母も健在であった)皆驚きと感動で声が上ずっていた。その時自分は過去からつながる家族の絆を身体全身で感じながら、自然と暗唱していた般若心経をくちずさんでいた。
何か無性に自分でお祝いがしたくなり、アメリカに行くまではと三年間自分で願をかけていた約束を終わりにし、カフェイン類を久しぶりに取ることに。当時ロスにあった吉野家の牛丼第一号店に入り、コーラで一人乾杯し、そして久しぶりの牛丼を食べた。
因みにその遺骨が日本の家族のもとに届いたのが今から29年前、1980年のお盆の日であった。
菩提寺の住職が下さった叔父の戒名が「乗願道清信士」つまり願いの道に乗るという素敵な名前だった。
そしてそれから25年後のこの日に自分の息子が生まれる事になる。今日は息子の4歳の誕生日だ。
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