論文審査委員!?

今朝ほど、アメリカ教育演劇学会の担当教授からメールが届き、本年度の最優秀論文賞受賞者として来年度の論文審査員の一人に加わるように依頼された。うれしいことだが、実際にはものすごい量の仕事になるので、少々困惑した。何しろ昨年提出した自分自身の博士論文だけでも250ページというページ数であったから自分でその論文読み返すだけでも時間がかかった。それが今度は何十本の論文を読まされることになるかわからない。最近は仕事の忙しさで英文を読み込むという機会がかなり少なくなっていて、それに比例して確実に英文を読むスピードが落ちている。ん~、大丈夫かな?・・・とおもいつつも、やらねばならない責任なので一応引き受けはした(ああ、またまた自分の首を絞めることしてしまったような・・・)
が、しかし、こういうことはポジティブに考えよう。今教育演劇会でどのような考えやビジョンを持った人間がどのような研究をしているのかが勉強できるというわけだ(苦笑)試行錯誤、中にはハチャメチャな論文もあるのだが、たしかにこのような毎年の取り組みはこのフィールドを活性化する一躍をかっているし、振り返って日本の現状をみると、このような試みは皆無といってもいいようだ。いつになったらこの国で芸術教育に市民権があたえられるのだろうか。
今日はこれから演劇史のクラス、中世演劇だ。なぜか自分自身この時代の演劇には心惹かれるものがたくさんある。演劇が教育として利用された代表的な時代である。民衆が楽しみながら自然に聖書の世界に関する知識を身につけていった時代。より面白いのが、演劇活動を非難中傷しながらも自らがその復活に寄与してしまう運命をたどったローマンカトリック教会。そして、それよりもはるか以前にすでに演劇を教化の手段として取り入れようとしていた宗派もあったという。(アラダイス・ニコール氏によるとアリウス派というグループは復活祭劇誕生以前にすでに一般民衆教化に劇を使用していたという)。楽しみながら学んでしまう・・・これは使い方によっては本当に危険でもあるし、有用でもある。いわゆる両刃の剣なのだ。
といっても何もこれらが必ずしも真面目な劇ではなかったということがまた面白い。ノアの方舟の劇の中のノアの奥さんにしても本当にカカア天下のものすごいがみがみババアのようなコミカルな存在に書き換えられており、またスペシャル効果にしても、洪水を見せるために舞台後方の家々の屋根にワインの樽に仕込んでおいた大量の水を一気に舞台上に巻き続ける(しかもそれがかなりの時間つづくような量)というのだからものすごい。とにかく徹底したリアリズムを追及した遊び心が爆発した時代だ。こんなイベント日本でもやったら本当に楽しいだろうなと思う。そしてこんなイベントがコミュニティーを結びつけて、子供たちの住みやすい共同体の創造にもつながるのではないかなと思う。もっともこれも坪内逍遥がすでに大正時代に考えていた構想なのだが・・・。共同体の意識が希薄になった今こそ、こんなイベントであそびたーい!!
(写真は中世聖史劇の移動ワゴン舞台とそれに群がる群衆)

2008-10-23 09:00 | つれづれなるままに | コメント

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