可児工業高校公演

16日は可児工業高校芸術鑑賞会。以前渡米前に多治見北高校で公演したことがご縁となり、今回の舞台となった。マイムを見たことがない生徒さんたちがほとんどだったように思う。だとしたらカンジヤママイムのマイムを最初に見ていただいて光栄の限りだ。最初は高校生はとにかく身構えるものだ。それが時間を経ると徐々にその壁が無くなってゆくのが手に取るようにわかる。最後まで本当にみんな良い顔をしながら見てくれていた。終演後たくさんの学生達が声をかけてくれ「おもしろかったっす!!」「最高っすよ」って言ってくれたのが嬉しかった
さてさて、その後楽しみにしていた坪内逍遥生誕の地散策を開始した。逍遥が幼少のころの遊び場としてその回想録に頻繁に登場する虚空蔵堂、イチョウの木、そして本陣跡。今まで読んだ何冊もの逍遥の伝記に必ずでてくる風景だ。もちろん町並みはすっかり変わっているのだろうが、それでも要所要所に過去からの風景の断片が感じられる。昨日までは一人でこの町を散策するというイメージを抱いていたのだが、今日のカンジヤマの舞台を見に地元美濃加茂市や各務原からいらしてくださった4人のお母さん達とわいわい楽しい会話をしながら散策した。その会話の中で、地元の方々も坪内逍遥は知っていても、彼が日本で最初に児童劇、教育演劇の青少年への効能を科学的に説いた人物だとは初めて知ったとおっしゃっていた。そうなのだ、この事を声を大にしていいたい!!最後に逍遥が住んでいた場所に今たたずむ太田小学校をおとずれ、その中にある「逍遥山つばきの部屋」を見学したのだが、そこの年表にも1921~3年までの逍遥の児童劇運動の期間は空白になっていた。太田小学校さん!!ここに是非「日本で最初の児童劇の教育的価値を解説した『児童教育と演劇』出版をはじめ、その後の学校劇ブームの火付け役となる児童劇運動を展開する!」と記述しましょうよ!それは大いに太田の誇りとして良い事ですよ。
とにかくここ大田村で厳粛な父親をはじめ寺子屋から吸収した儒教の教えが逍遥の後の人生を大きく方向付けることになる。逍遥の一時養子となった坪内士行氏(逍遥の兄のご子息)の回想でも逍遥は人生の最後まで論語など儒教関係の書物の翻訳を夢としてもっていたと述べられている。もっともこの儒教思想と西洋思想との衝撃的な出会いと葛藤が彼の小説神髄を書かせるきっかけとなるのだ。逍遥が帝大のときにアメリカ人でイェール大学出身のウィリアム、ホーガンのシェークスピアの授業を履修した際のことだ。試験にて「ハムレットの中の后、ガートルードの性格を分析せよ」との問題に逍遥は、主人を殺した義理の兄弟コーネリアスと結婚したガートルードの行いを儒教的善悪の価値判断で真っ向から徹底的に批判したのだそうだ。その結果かなりあやうい成績をとってしまったらしい。この苦い経験が大きな動機付けとなり、今まで勧善懲悪のステレオタイプな登場人物と決まりきった筋書きしかなく、しかも芸術としての価値をまったく認められなかった日本の小説を批判し、小説本来の神髄を説く事になるのだ。性格描写とは儒教的な善悪の二律背反にとらわれるべきでなく、そのさまざまな葛藤から感じられる「人情」が大切なのだと!!
話はかわり、今日はその坪内逍遥由来の早稲田での期末試験!旅の最中に問題を必死に作り上げた。さてさて学生がどのくらい答えてくれるか楽しみだ。(写真は虚空蔵堂‐上、と太田小学校脇の逍遥公園の碑‐下)

2008-07-17 09:11 | つれづれなるままに | コメント(2)

可児工業高校公演 への2件のコメント

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