都会の夕日から海上の夕日へ

8日、大学の講義を終えて教室を出て帰路につこうとすると、そこは群集の渦の真っ只中だった。大隈講堂を取り囲み赤い旗と黄色地の旗がそれぞれの存在を誇示しあうなか、拡声器を通してあちこちで怒号が響いている。しかし、驚くのはそれがほとんど母校の学生ではないということ。いったいあの70年代の学生のパワーはなんだったのだろうとつくづく思う。ある学生がつぶやいていた「フリー〇〇ット!!」ってタダでその国に旅行に行けるキャンペーンかと思ってました!?!  少々立ち止まってその群集をみつめていると、必ずしも同じ旗をもっているグループ同士が同じでないということもはっきりしてきた。あるグループは頭ごなしに赤い群集の誹謗中傷をくりかえす一方で他の群集はただただ一民族文化集団の独立自治を叫んでいた。 
次の仕事の時間に追われていたので急いで駅の方向へ向かい、帰路につく。その深夜車で茨城県大洗へ向かい、午前二時のフェリーに乗り込み、一路苫小牧へ。船中では溜まりにたまっていた疲れがでて、ほとんど寝てしまった。気がつくと外は次の日の夕暮れ。津軽海峡ごしにそれは美しい夕日がみえた。聖火などという人間がでっちあげた偽善の火よりぜんぜん美しくて、だれも邪魔のしようのない、いや、する必要のないきれいな火が海に沈もうとしていた。なぜ人間が考えることは偽善にみちているのだろうか。しばし、沈む夕日をみながらボーっとしていた。
苫小牧に上陸したのが夜8時、今宵の宿のある苫小牧駅前にむかう。が、その途中に去年の7月の旅公演の際に訪れて特別記念写真をとった場所にちょっとよって、また新しい仲間と写真をとった。思えばここミート〇ープ社も偽善でその名をならした新名所だが、もうすでに人影はまったくなく、ひっそりとしていた。さてさてまた長い北海道の旅公演が始まろうとしている。

2008-05-10 01:50 | ひとりごと | コメント(1)

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