触れるというシンプルな行為について

最近は仕事の合間に頻繁に病院に通う毎日だ。(お見舞いであり、自分の体調不良ではありません!!) 今一番感謝しているのは若いころに習得した自分の指圧、マッサージの技と資格。30歳の時に一念発起し、これからの自分のマイム人生の為に自己管理を徹底するべく、二年間かけて指圧師の国家資格をとり、そして翌年インドのヨガの大学へいきヨガ教師の資格を取得した。こんな時期があったのだ。
今大切な人が入院している時に自分にできる事は小さいが、少しはある。それは彼らに「触れる事」だ。少しでも触れて自分の祈りの念を手と指の先に集中させる。本来は別に指圧師の資格など要らない。その人の思いさえあればよいのだと思う。なぜならば触れる事はそれ自体に癒す力があると信じている。つまり誰にでもできる事。祈り、そして触れる。必ず念は力を出す。だが、そこに自分のように「資格」があればそれが通常だと照れくさい「触れる」行為の正当的な理由になるのだ(苦笑) そして相手も受け入れやすい。
人は触れる事を現在過小評価してるように思えてならない。そして「ふれあい」という言葉が陳腐になり、乱用される割には、実際には互いに本当に触れ合っていないのではないだろうか。抽象的な触れ合いのみが先行し、実際のフィジカルな触れ合いが忘れられているように思えてならない。触れる事、ハグする事、手を握る事、なでてやる事。これは親子でも友人でも恋人でも夫婦でもそうだと思う。現代人は健康な時でも、もっと身近な人々に実際に触れるべきだと思う。触れて触れてそしてお互いの存在に感謝しよう。そう思う今日この頃なのだ。本当の触れ合いから心の触れ合いが起こる、そう信じています。

2011-10-02 09:00 | ひとりごと | コメント(2)

触れるというシンプルな行為について への2件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。