鹿児島の新鮮野菜

鹿児島にいる親友から沢山新鮮な野菜を送ってもらった。ここのところ毎日これらの野菜を安心して美味しく頂いている。鹿児島の大地になる野菜がこんなに美味だとは感動であり、新しい発見だ。感謝感謝である。持つべきものは友人だな~ こんなに美味しい野菜ならば多少の送料を払ってでも毎日食べたいとつくづく思う。
今風評被害という言葉がしきりに使われているようだが、果たして本当にすべてが風評被害なのだろうか?特に放射性物質に敏感な妊婦さん、そして幼い子ども達にとっては出来る限り放射性物質を含まない食材をもとめるのは当然であり、(もちろん大人だけで食べる場合は騒ぐ必要はないだろうが)、それを一言風評被害というまやかしの言葉で囲ってしまうのはおかしいと思う。政治家が一口食べてデモンストレーションしたとしても、彼らがでは、果たして毎日当地の食材を口にしているかといえば、はなはだ疑問である。
勿論、実際に本当の風評被害はあると思う、それが証拠に福島の浜通りなどにある大好きな岳温泉などをはじめとする温泉宿がいくつも廃業を余儀なくされているという。しかしながらその反面、福島を中心にまわりの地区(東京を含め)は確実に空気も水道もわずかながらの放射性物質が混じっているのも事実だ。そしてそれらは体内から新陳代謝によりかなりの量は排出されるだろうが、確実に今でも毎日放出される放射性物質がある限り、空気や水を介して少なからず私達の体内に入り続けているのも事実だ。体内被曝はその積算値が問題になるという。だったらなるべく放射性物質に晒されていないものをとるのは当然のことだろうと思う。これは風評被害ではなく、実際に農作物がわずかでも汚染されていれば、原発による実際の放射性物質被害といわなくてはならないのだ。言葉によるミスディレクションに注意しなくては!
美味しい野菜、新鮮な空気、そして奇麗な水、こんな当たり前のように思えた事が現在あたりまえでなくなっている。この事実をしても現在、原発維持、あるいは推進と回答する人々が6割を占める日本とはなんなのだろうか?もっとも原発なしでは電力をまかなえないという電力会社の執拗なプロパガンダが強く深く浸透しているのが原因であることは確実なのだが。いつになったらこのプロパガンダの呪縛から逃れられるのだろうか。
こういった事に若者たちが気づいてほしくて、自分が教えている大学の授業には少なからずメディア・リテラシーの話題を挿入することにしている。若者たちには私達が犯した過ちを繰り返さずに、メディアの裏をちゃんと読んでほしいと切に願っている。今日本のジャーナリズムは機能していない。だからこそ一人一人の大人がそれぞれの立場で若者を導いていかなくてはならないのだと思う。そして学者たちも、御用学者がどんなに恥ずかしい存在なのかを学問の入り口で示してあげなくてはいけないのだろう。金や名誉に目がくらんだ学者はただの嘘つきでは済まされない。今回のように人々の命を左右する決断をしている事もあるのだ。今一人一人の大人が若者たちに現実に起こっている事に目を向けさせてそして私たちの過ちを素直に示してあげなくてはならない。

2011-04-26 10:56 | つれづれなるままに | コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。