成城学園初等科

今日は玉川大学の講義の後、成城学園へ向かい、来年鑑賞会公演の予定が入っている成城学園初等科で打ち合わせ。何しろここは学校劇のメッカだ。博士論文書いている時分からよくこの成城学園に関する文献を読んでいたので本当に嬉しい事だ。大正新教育をグイグイ引っ張っていたのがこの成城小学校。創立が元文部大臣沢柳政太郎というユニークな人。ここに後に玉川学園創立者となる小原國芳氏が沢柳氏に誘われて赴任してくる事により学校劇が始まる。もっとも小原氏の書いた『学校劇論」の少々前に既に坪内逍遥は「児童教育と演劇」という本を出し、児童劇のその教育的意義を日本で初めて公的に主張する。この坪内の児童教育と演劇、そして小原の学校劇論に加えて当時起こった宝塚少女歌劇団がこの学校劇ブームを後押しすることになる。大正時代、それは学芸会に学校劇が百花繚乱の勢いで広まっていった夢の時代だったのだろう。ところが運命というのは皮肉なものなのだ。上記の両氏の出版が1923年、その9月に起こったのが関東大震災。これが児童劇の運命を捻じ曲げることになる。つまり慰安公演名のもとに児童劇が頻繁に行われるとともに慰児童劇の質の低下が顕著になり、坪内の児童劇に対する懸念が深まる。そしてそれに続くごく一部のチャリティー公演の名のもとに行われた商業的な外部公演。これらがすべて文部省の神経を逆なですることになり、やがて1924年の当時の岡田良平文部大臣により学校劇禁止令が出されることになる。そんな中でもこの成城小学校は沢柳氏のもと粛々と学校劇の伝統の灯をともしつづけるのだ。現在も初等部では生徒さん達が中心になって様々な劇作が行われているという。是非一度拝見したいと先生に申し出た。近いうちに拝見出来る事を期待している。

2010-12-07 11:53 | つれづれなるままに | コメント(3)

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