千葉県八千代にて

昨日は千葉県八千代市にてXX歳最後の舞台。前にも触れたが、私のマイムの師匠である故トニー・モンタナロ氏に私が初渡米した20歳の時に出会ったのが師がその年齢の頃だった。その動きと発想のダイナミックさに身震いしたのを覚えている。マルソーとまったく違うスタイルだった。いや、師と修業させて頂いた間学ばせてもらったのがこのテーマだったのだ。マルソーからの旅立ち。その頃みなマルソーに憧れて白塗りの無言のプラカードでタイトルを示すマイムをやっていたのだが、それを真っ向からまずは否定された。Who are you? Do you really want to become Marcel Marceau? 「マルソーのコピーになりたいのか?おまえはいったいマルソーなのか?」ショックだった。当時はそれが世間のマイムがみなやっている事だったのだ。
ここから自分のマイム探しの旅が始まったのだった。それ以前マイムを学んだヨネヤマママコ女史すらやはりマルソーにかなりのスタイルを感化されていたのを初めて気づいた。いやマルソーというより、彼のルーツとなるのは19世紀に一世を風靡したフランスパントマイムである、デビュローパントマイム(天井桟敷の人々にでてくるキャラクタ)と言われる通称白塗りのパントマイム(Pantomime Blanche)といわれるピエロを基本としたパントマイムだ。
そんな模索をしながら帰国し、出会ったのが永六輔さんだった。もともと永さんに出会おうというのではなく、日本の芸を求めてさまよっていた矢先のことだった。帰国した25祭の頃、二つのテーマがあった。一つは先代の雷門助六師匠の「あやつり」と言われる日本的なマリオネットの芸を学ぶ事、そしてもう一つはマルセ太郎さんの猿を学ぶ事であった。両方ともモンタナロ氏にも教えられたのだが、彼の芸は両者ともに西洋のマリオネットであり、西洋の猿のイメージであった。そしてそれらを求めていた過程でであったのが、当時のマルセ太郎さんを世に紹介していらしゃった永さんだった。とにかくその話芸に惚れた。粋な話芸:どんな芸能でもその面白さを分かりやすく紹介し、見る者たちを前のめりにするくらい期待させてしまう話芸。その話芸が学びたくなり、御一緒に旅をさせて頂いた。旅の最中マルセ太郎さん、柳家小三冶師匠を初め様々な芸人さんとご一緒させていただき、その都度永さんからいろんな事を聞き学んだのを懐かしく思いだす。
そんな今までの過程がなぜか昨日の舞台の直前に頭をよぎった。今、自分のこの一時間半の舞台にはこれらの師の人々の思いや芸が自分というキャラクター・フィルターを通してフュージョンされ、そして自分の口、手、足という道具によって結晶化されているのだと。舞台直前に本当に合掌しながら感謝の念が込み上げてきた。
それが客席に通じたような舞台だった。素直な若者から発せられる嬉しい歓声とドヨメキの中、「感謝の舞台」ができたような気がする。今まで私を支えてくださった皆様に心より感謝です。合掌

2010-11-06 04:04 | つれづれなるままに | コメント(10)

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