人生を物語る無言の瞬間

別に特別興味があるわけでも無かったが、ついタイミング的にテレビの前を通りかかったら妻がオリンピックをみていた。浅田真央とキムヨナの対決。鍛え抜かれ、洗練されたその技はもう筆舌に尽くし難かった。あっぱれで、実に見事。人間がこんなに美しく舞えるという夢をみているようだった。
ただ、そのあとでのインタビュー、およびマスコミの人々の報道の仕方がどうも鼻について困った。直後、浅田真央が泣いていた。悔しいに決まっている。くそー!!と思っているに違いない。自分には彼女の涙が彼女の演技と同じくらい重くのしかかってきたのだ。
だが、それを半ば無理やり美談にもってゆこうとするマスコミのお決まりの扱い方・・・・。野暮の骨頂。私たちみたいに、その場だけただ単に傍観していて、「いや、残念だったね、でも頑張ったから偉い…感動をありがとう!」って無責任な事言いながら、次の瞬間にはすべて忘れて目の前のおいしいものに食らいついたりしている輩とはわけが違うんだよね。彼女らは何年間もぶっ続けで24時間この瞬間の事をイメージしながら全エネルギー、全気力を集中してきたのだから。それは悔しいし、悲しいし、言葉なんかにできるわけがない。本人たちがそれを美談として受け入れられるのはまだまだずっと先の事。今はただその瞬間に起こった事の一つ一つを身体で感じて、そしてその反応として前論理的な涙を流しているのではないか。これを無理やり言葉に出させようなんてするのが所詮間違いだ。ただ単に激しい戦いをして敗れ、涙している彼女を静かに映してやればよい。その悔しい涙以上にこの瞬間を物語るものはない。無理にテレビインタビューとして成り立たせようとするその計らいが胡散臭いし、ばかばかしくて腹が立った。それこそ、子どもを殺された親に向かって「犯人に今何と言ってやりたいですか?」などと聞くインタビューアーと同じレベルだ。なぜ全てを言葉に託さないと成り立たないと思うのか?なぜ身体が雄弁に物語っている瞬間を認めようとしないのか。マスコミよ、もっと読めよ、身体の信号を!全身の言葉にならない叫びを!!

2010-02-27 10:39 | ひとりごと | コメント(2)

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