節目の日

さてさて今日は実は~十歳最後の日なのだ。しかしよくもここまできたものだ(苦笑) ~十歳最後の日と~十一歳最初の日は幸運にも?またまた仕事なのだ。
ちなみに今日は早稲田の授業を終わらせた後、すぐに羽田空港に向かい、北九州へ。明日は喬太郎師匠とお仕事をご一緒させていただく。高校での寄席形式の公演だ。終演後すぐ帰京、そして明後日は埼玉県川口で英語のショー、翌々日大阪へ移動。そして月曜日は大阪の藤井寺市で高校の芸術観賞会、その後移動し、夜に仕込んで火曜日は滋賀のあいの土山文化ホール主催の芸術鑑賞会と止まらない毎日が続く。
こんなスケジュールのゆえ、なかなか学生達の公演が見られないので昨夜は少々無理をして玉川大学芸術学部の学生公演のゲネプロを見学してきた。2時間にわたる熱演。若さ溢れるすがすがしい舞台だった。しかし、恵まれている。照明も音響も、そして舞台装置も使い放題つかえてリハーサルから本番まで手取り足とり指導してもらえる。幸せな若者たちだとつくづく思った。
話題はあちこちへ飛ぶが、昨日のニュースでレビ・ストロースが亡くなったという事を知った。時代の流れを感じずにいられない。まさに人間の主体性と歴史の進歩を賛美してきた「西洋至上主義に偏向したモダニズム」に最初に異議を唱えた構造主義の開拓者だ。この異議提唱がきっかけになり、やがて私たちの「西洋の視点から押し付けられた世界観」がよい意味でぶれ始め、そして多文化主義が台頭してくる。何事もそうだが、我々のように様々な偏見、既成概念にどっぷりとつかっている一般人とは異なり、常により大きな視点で、そしてより客観的な観点で世界を見られる人間は本当にすごいと思う。そしてつくづく感じるのは人間とは色眼鏡でしかものを見られない動物なのだという事。偉そうなこと言っても所詮我々は他の人々が作り上げた言葉の世界で経験を割り切って、その言葉内での価値観、経験を再生産しているだけなのだ。そしてそれをあたかも自分の経験のごとく感じている。不思議な生物だ。全ては自分の頭の世界で作り上げた妄想、戯言か?って思うとこれはまさに唯識という仏教の思想に到達するのだ。唯識思想ってつくづく凄いとも思う。(申し訳ない、眠さのせいか思考が飛躍しているのかも。これも戯言です。苦笑)

2009-11-05 12:48 | つれづれなるままに | コメント(5)

節目の日 への5件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。