ピノキオ考

もともとこのピノキオは作者コッローディの故郷である、フィレンツェの街の子供たちをモデルにしたとされている。「ある操り人形のお話」という題で始まったローマの「子供新聞」の為の連載物語なのだが、最初はしゃべる丸太が人形にされる。そして怠け者で勉強大嫌いというキャラクターとして様々な冒険をしてゆく。ディズニーとは違い、妖精も美しい女性ではなく、青髭であり、アドバイザーとしてのコオロギですらピノキオは途中で石を投げつけ殺してしまうのだ!!原作の新聞連載では当初ピノキオはキツネとネコに騙されて、挙句の果てに木に首を吊られて死ぬ場面で終わったのだった。ところがその子供新聞に抗議が殺到し、新聞社の説得によってコッローディが新たに物語を再開させられたのだ。つまり、ここで妖精に救われるというわけ。
ピノキオに関してはもう一つ面白い逸話がある。それはアメリカでおこったフェデラルシアタープロジェクト(連邦劇場計画)と呼ばれる一連の政府が奨励した運動でおこったことである。このプロジェクト自体は1929年のアメリカ大恐慌後のニューディール政策の一環としてWPA(公共事業促進局)が打ちだした芸術家支援計画の一つだ。要するに政府が金を出して失業中の役者や劇作家たちに職を与えようという、それは夢のようなもの凄い計画だったのだ。もっとも二次的な目的として貧困層の人々たちにも観劇のチャンスを与えようということだったらしい。とにかくこの運動は後にも先にも政府主導の最大規模の演劇推進運動だった。(ウィスコンシン大学の友人がこのプロジェクトに関する博士論文を執筆中なのだが、面白い逸話は後を尽きない。)
とにかく、このプロジェクト自体1935年から39年まで続いたのだが、それはそれは物凄い規模でアメリカ全土で実験的な演劇が創造された。もちろん児童用の演劇も例外ではなく、全国で百花繚乱の実験が行われたのだった。最初の政府の態度としてはあくまでその内容に不干渉という立場で臨んだのだが、徐々にその過激な内容に干渉せざるを得なくなる。そしてその過激さと予算の限界が原因で結局政府は1939年に予算を打ち切る決議を出し、すべてのプロジェクトの終了を宣言することになる。当時児童劇はこの「ピノキオの冒険」をニューヨークの劇場で上演中だったのだが、その最終公演でこの劇はその政府のプロジェクト終了決議に最後の抵抗を見せつけることになる。ピノキオが最終場面で人間に生まれ変わるハッピーエンディングを迎え、舞台袖に引っ込んだ後、袖で大きな銃声が響き渡ったのだ!!そして暗転の中、袖で誰かの叫び声が聞こえた。「ピノキオが撃たれた!!」「なんだって?!いったい誰がピノキオを殺したんだ?」「政府だ!合衆国政府がピノキオを殺したんだ!!」・・・・・

2009-03-18 06:37 | ひとりごと | コメント

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