テレビインタビューの英語

昨日は久々に松戸の実家に戻り、母親の特製唐揚げをごちそうになった。これがガーリックとショウガの絶妙なコンビネーションで結構うまい。演芸場の連続十日間でかなり凝り固まった身体をソファに横たわらせて、本当に久々にボーっとテレビをみていた。(といいつつ、実はやらねばならない事が頭を駆け巡っていたのだが苦笑) 
報道ステーションではイスラエルの選挙結果を報道していたのだが、中道派、右派のそれぞれの勝利宣言の報告のあと、その右派強硬派のリクードとの連携でキーマンになるかもしれないとされる「我が家イスラエル」のリーバーマン党首へのインタビューを行っていた。この「我が家」はかなりの強硬派で、アメリカが第二次大戦中に日本に対して行ったように、アラブとの徹底抗戦をという主張をしている、かなりのファシズム的な臭いのする政党らしい。だがそのテレ朝の特派員らしき者のインタビューを聞いてびっくりした。そのリーバーマンに英語で「イスラエルの国民とパレスチナの国民の命とどちらが大切なのですか?」などという愚問を発していた。おいおい!なんてバカな質問をぶつけてんだよ!って思った瞬間、テレビのテロップは「イスラエルの国民の命とパレスチナ人民(もちかしたらここはアラブだったかもしれないが)の命では差があると思いますが?」などという素晴らしい意訳!?がなされていた。これって国民あざむいてないかい?(苦笑) 案の定、リーバーマン党首の答えは「あなた方の政府は自国の日本人の命とイスラエルの民の命とどちらを守ろうとしますか?」って逆につっこまれていた。むしろこの切り返しに対する日本人インタビューアーの返答の方が興味あったが、もちろんここまではテレビは映さない。それにしても愚問も愚問、なんて質問するのか、それともこれは決定的な英語力の不足なのか。それにしてもテレ朝もよくもこんなインタビューを流したものだ。いきなり眼が覚めてしまった(苦笑) 
まだまだ日本人の英語はだめだなとつくづく思う。いや英語自体もそうなのだが、発想がまったく日本の甘い机上のヒューマニズムから脱してないのだ。英語をしゃべるということは、その裏にある発想をもチャンネルを変えなくてはならない。今まで一度も領土を侵略されたことのない、日本人が、自国を力づくで獲得した国の指導者にそのままの発想で質問するのが愚の骨頂だと思う。英語教育はこの差も教えなくてはならないのだと思う。もっとも日本はくだらない入試対策として世界史をも省く状態だから致し方ないのかも。大学で教えていてその影響をかなり感じることがある。
11年から小学校英語が必修化されるが、はたしてこんなリソースがない(つまり指導者がいない)状況で何ができるのか。文科省はいつも理想論を打ち出してくるが、その現状を十分に顧みず、また効果をじっくり待つことをせずに次々と手のひらを返してきたし、誰もその責任を取っていない。今回の小学校英語も何となく不安だな。ゆとり教育だって現状分析甘かったし、5~6年で効果がわかるわけないじゃん。こんなころころポリシー変えていて迷惑しているのは現場の先生方と子供たちだ。本当にかわいそう。

2009-02-12 05:38 | ひとりごと | コメント(2)

テレビインタビューの英語 への2件のコメント

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