東京大学にて その2

先日の東大でのワークショップの写真を頂いたので、支障のない範囲でご紹介させていただく。まずは最初に東大大学院のスタッフと入場の稽古をするカンジヤマ(写真1)。はじめての経験に多少戸惑ってはいたが、本番はかなり入り込んで必死にやっていたくださった(笑) その後スタッフのみなさんを助手としてロボットになり固まって入場するカンジヤママイム(写真2)。しばらくロボットで動かないカンジヤマ(写真3)      簡単な紹介ののち、大脳生理学、ペンフィールドの図を紹介し、いかに人間の手と顔の神経が脳神経の広範囲をしめるかを解説する(写真4) 人間の身体の可動性をデモンストレーションした後、みなさんに指の先を動かして脳を活性化する体操をしていただく。その後それぞれのグループによって今日のシンポジウムを風景にたとえた印象を人間の身体を使った一枚の写真にして公開していただいた。会場は活気にあふれて、みなそれぞれの想像力、創造力をきそってくださった。 人間と人間が出会うとき、そこに言葉の会話が生まれるのだが、その物理的な距離をこのような遊びによって縮めることによって、相手の言葉がより一層の身近な意味合いを持ってくることが多々あるということを確認していただきました。身体は口ほどに物を言うのです。

2008-11-03 11:15 | ワークショップ | コメント

東京大学にて

昨夜は昼間、都内の舞台の仕事を終わらせて、夕方から東京大学で行われたシンポジウム後のワークショップ指導に行ってきた。 昼間に東京大学安田講堂で「ワークプレイスラーニング2008」という企業・組織人材育成に関するシンポジウムが開催され、その後のリセプションとしてのバックステージパーティというイベントが企画された。ワークショップ風パーティということで東大の大学院、学際情報学府の学生さんたちが一生懸命にセットアップしてくださった。企業、あるいは大学の研究室より80名以上の方々があつまり、その人々に身体を使って今日のシンポジウムを振り返ってもらおうという、一風かわったワークをしながら、パントマイムの醍醐味をところどころに散りばめて楽しい時間を共有させて頂いた。その後たくさんの方々に話をさせていただき、改めてマイムの可能性をこれからどんどん広めてゆかねばならないというミッションを強く感じた。 どのように参加者の体験、経験を言語的なイメージから身体的なイメージに転換させるか、しかも面白く積極的に参加できるように様々な演出が必要になってくる。これからの企業教育にしてもこういった多角的な、そして全、あるいは多知覚的な試みが必ず脚光をあびてくるに違いない。毎日が勉強だ。そして毎日がチャレンジだ。応用マイムを発展させてゆかねばならない。 (写真はワークショップ後の赤門にて)

2008-11-01 06:07 | ワークショップ | コメント

土砂降りの赤門にて

今夜は早稲田の授業が終わってから今週末に行われる東大でのワークショップの打ち合わせに赤門でスタッフの学生さんと待ち合わせをした。・・・ところが、ところがである、うっかり天気予報を聞かずに家を出たから赤門に到着した瞬間に雷を伴うものすごい土砂降りに遭遇した。その雨が待てども待てども上がる兆候がまったくない(涙) やむなく、その学生さんと打ち合わせ場所の教室まで大雨の中をずぶぬれになりながら歩くことになった。お借りした傘などまったく通用しないような大粒の激しい雨の中、文字通り怒涛の如く狂い流れる路肩の押し水に新しい靴がぐっちょり浸り、ズボンはひざ上までビショビショになった。人間の記憶というものは不思議で、そんな雨の中を歩いているうちに、その昔インドのヨーガの大学で修行に励んでいた頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。 ちょうど30になったころ、ボンベイ(今のムンバイ)の北に位置するロナワラという場所にある、ヨーガ教師育成プログラムに参加したのだ。そしてこの数カ月の間に生まれて初めてのインドの本格的なモンスーン到来を体験した。何日も降り続く大雨の後、ある朝起きてヨーガの教室に行こうと外へでると、そこは文字通り胸まで水位があがった洪水の世界だったのだ!床下とか床上とかいったレベルではない!そのまま胸上浸水なのだ(苦笑)その胸までの水の中をみな歩いて、というか、ちょうど水中フィットネス歩行をしているがごとくの状態でクラスに向かったのだった。これは冗談ではなく、ふとその時遠くをみると、な、なんとコブラのような大きな蛇も一緒になって泳いでいた!!・・・ 話がそれたついでだが、ちなみに、この時、つくづく思ったのだが、やはり言葉に付随する印象、あるいは意味とは文化により、言語により本当に大きな「ずれ」が生じるものだということだった。日本でいう梅雨とは詩情を誘う、いたって穏やかな湿気である。例えばその昔、和辻哲郎は日本の風土の特徴を「湿気」に起因するものとし、その季節の変わり目の抒情的感情、あるいはものの輪郭をぼかすという特徴を誘導するものとして位置付けている。だから、この感覚で仏典などを読むと、雨安吾という梅雨時期に釈迦をはじめとした僧たちが遊行をさけ、一定場所ーたとえば祇園精舎などーに定住する習慣が、さも穏やかな雨の中のくつろぎのひと時のような印象を受ける。しかし、実際にインドのモンスーンを経験すると、雨安吾とは、他に選択肢のない、それはそれは非情な土砂降り、洪水の中のやむを得ない選択だったのだと気づかされるのだ。 話題が大きくそれてしまったが、数十分の土砂降りの中によみがえった肌の記憶だった。打ち合わせで東大の中原教授といろいろな話をさせていただいたが、大いに示唆に富むお言葉をいただいた。やはりマイムの可能性をもっと社会に知ってもらわないとならないとつくづく感じた。今こそ企業の教育にも活用できるのがこの身体訓練のシステムではないのか。本当に違う分野のエキスパートと話をさせていただくのは刺激的だ。話しているうちにどんどん新しい刺激を受けて、面白いアイディアが浮かんでくるのだった。まだまだやらねばならないことがたくさんありそうだ。今度のワークショップが楽しみだ。

2008-10-27 10:04 | ワークショップ | コメント