やれやれ

どうやら都民投票の署名数が何とか規定に達し、なおも、増え続けているという。少しほっとした。が、しかし、署名運動の受任者になり、今回はつくづく日本人の無関心さに驚かされた。これだけ被害をこうむって(といっても恐らくは被害には目をつむってしまっているらしいのだが)、全く動こうとしない。英語でオストリッチ、つまりダチョウの喩がある。ダチョウは我が身が危険にさらされると穴に頭を突っ込んで隠れたつもりになるという(真偽は不明だが)。つまり現実逃避、思考停止するらしいのだ。まったく今回のリアクションはこれに相当する。学生達も無関心、社会人も。今、目前に迫りくる、地震、原発、そして国債破綻の可能性。これらをもちろん過剰に恐れる必要はないのだが、が、しかし、可能性としてはかなりの確率でこの三つに対しては備えをしておかないと大変な事になる。が、学生にしてもこれらがどんな事を意味しているのかが、イマイチ分からないようだ。
先日友人と話していてつくづく思ったのだが、大学の自分のクラスだけでも優秀な成績をとるのはかなりの確率で外国人が多い。特に韓国の学生は本当にハングリーだ。翻って日本人学生の覇気の無さには呆れかえる。どうしたのだろうか、日本人!!今年のハーバード大学の学部への日本人の新入生はたった一人だと聞いた。中国、韓国人が多数7~80人入学する中で、この状態では将来の国力の差は明らかだ。ん~~、若者よ!頑張ってほしい。
一方、そんな若者を責めるだけではやはりフェアではないのも事実だ。視点を変えるが、上記の問題は一つにやはりこの国の政策にもあるようだ。あまりにも若者が粗末に扱われている。国債にしても原発にしても将来の人々に大きなツケを残し続けているのは事実だ。あまりにも若者が粗末にされている社会。小さな事だが、例えば自分の住む東京国立市はコミュニティーバスが170円もするのだが、(以前暮らした国分寺は100円!!)御老人はもちろんタダ。これをどうのこうの言う筋合いはないのだが、今多くの御老人はかなり裕福だし、年金ももらえ、それ以上に様々な制度で保護されている一方、例えば子連れの若い女性などに対しては全くさっぱりなのが現実ではないだろうか。小さな子どもをつれて雨の日などにバスに乗る。こんな人々が守られる社会でなければ少子化に歯止めはかからないのは当然だ。母子家庭のかなりの割合が貧困状態だという。こういった対策は老人保護に比べればほの微々たるものだ。子供手当という名目のもと、金をばら撒くだけでは能がない。こういった制度自体を少しずつ変えていかねばならないのだが・・・

2012-02-10 09:16 | ひとりごと | コメント

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