日本経済新聞 1994年2月16日 文化欄より

藤倉健雄(カンジヤマ・マイム)

 

「簡潔さは機知の精髄」

 

簡潔さのなかに凝縮された深み。フランスが世界に誇る現代マイムの第一人者マルセル・マルソーの舞台を垣間見たことからすべてが始まった。演目は「青年、壮年、老人、死」。せりふを使わずに、しかも生身の身体一つで人間の一生を数分にして演じ切った。そしてこの数分間の演技が、舞台に無縁な当時十七歳の学生であった私のその後の人生を決定づけてしまったのである。彼を目撃したことにより私は現在、自らバントマイミストとして舞台に立っている。

 

 

パントマイム?パントタイム?パートタイム? 日本ではその呼称すらいまだに誤解されかねないこの芸能の名は、古代ギリシャ語由来で、バントス(すべて)をミーモス(模倣)するという意味がある。ここから発展してすべての物、森羅万象のエッセンスを凝縮し、身体による簡潔表現に昇華するのがパントマイムである。

「簡潔さは機知の精髄である」。これはシェークスピアの「ハムレット」の中の一節だ。マルソーとの出会い以来、「パントマイムのだいご味を一言で?」と開かれたら、私はいつもこの言葉を引用している。

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永六輔さんのすすめで私はカンジヤマ・マイムでこのようなマイムを追求してきた。米国の師匠であり、マルソーのまな弟子のトニー・モンタナロ氏が「感じる」ことが「山」のように盛り上がったマイムという意味で命名してくれた。 俳句というまさに五七五の簡 潔さのなかにすべてを凝縮した「言葉のパントマイム」に出会ったのは、永六輔さんのおかげであった。永さんの旅にご一緒させて頂いた折、何気なく「山頭火をマイムにしてみない?」というアドバイスを頂き、幾つ かの句をマイムの動さにしたのが俳句マイムの始まりであった。

その後、山梨県中富町の「句碑の里」という日本全国の俳句ファンの自作の句を句碑にするというボランティアの集いに、幾度となくご招待を受け、一般の方々の俳句をマイムにしたのが好評だった。そして、いよいよ松尾芭蕉の「奥の細道」に挑むことになった。

このように経過をつづると簡単だが、俳句マイムの道は楽ではなかった。カンジヤマ・マイムは、俳句は全くの素人。また、芸の未熟さもあって、俳句マイムをするには生身の身体表現がいかに限りあるものか、思い知らされる毎日であった。俳句マイムとはどんなものか、最近作ったものを例に紹介しよう。例えば中富町の句碑の里には、永さんの「寝返りをうてば土筆(つくし)は目の高さ」という句がある。寝転んでいて、寝返りを打つと土筆が目の前にある・・・・・・。これではただの当て振りである。実をいうとこの句は簡潔すぎてかえって難しく避けていたのだが、テレビ番組で中富町の特集があった際、半ば無理やり作らねばならない羽目になってしまったのだった。

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すべては無から創造

七転八倒の末、思い付いたのが「寝返りをうつ」=知らぬ間に、「土筆は目の高さ」=季節、時間の経過、ということであった。そしてこの句の解決のヒントになったのが、永さん作詞の「坊や」という曲を、偶然ラジオで耳にしたことであった。 結果はこうである。親子が草原に散歩にくる。子供が父の手を擦り抜け、草原で戯れている間に父親はウトウトと居眠りをしてしまう。子供は草原の中に土筆を見つけ、それをつかもうとした瞬間に土筆そのものになりムクムクと成長する。やがて父親が寝返りをうち、わが子に目をやるとその子は知らぬ間にすでに自分の日の高さにまで成長している。やがて老いた父親は今度はその子に手を引かれ歩み出す。

これはあくまで私たちの創作であり、原句の意図とは関係ない。排句マイムの創作とは、五七五に擬縮されたエッセンスの還元、再擬縮作業なのである。 ただし、これはうまくいったほんの一例であり、いつもこのようにスムーズにいくとは限らない。奥の細道にしても同様で、例えば「夏くさや兵どもが夢の跡」の「夢の跡」とはどのように表現したらよいのだろうか? あるいは、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」の「あきの風」とは? こんなカベに絶えずぶち当たった。 ただ、このカベと朝な夕な格闘し続けるうち、ある日突然、それこそ啓示のような解決の光が差すことがある。そしてそれらは、先の例のようにラジオを聞いている時とか、湯船の中と か、全く予期しない時に突然やってくることが多い。

排句マイム創造の難しさとはこの啓示の光を偶然に手に入れるまで、いかに執ように動作やイメージとの悪戦苦闘に耐えられるかということかも知れない。マイムという芸能には能・歌舞枝などの伝統芸能に見られるような『便利な』約束事も、様式化された動きもないのである。すべて無から創造されなければならないのだ。

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「語い」蓄積に役立つ 山頭火から入ってよかったと思う。白由律の自由奔放な作風は、私たちのような全くの素人に、原作の意図にとらわれず、自由に発想を転 換することを教えてくれたような気がする。そのうえ、山頭火には情景描写だけでもおもしろいものが沢山あった。おそらく永さんはこのことをご承知で、私たちに山頭火をまずすすめて下さったのだと思う。 この情景描写を視覚化することは、私たちの俳句マイムの動きのボキャブラリー(語い)を蓄積するのに大いに役立った。そして何よりもその中で、季語を動きにするコツを少々会得できたということだ。例えば「あきの風」を表すには、そのまま秋風を忠実に表現しょうとする必要はない。トンボなどが風に乗って飛んで行く様子を、具体的に描写したほうが視覚的には分かりやすい。これは言ってみれば、季語に対して「季動」とでも呼んだものであろうか。もちろん、これも私たちの勝手な解釈であり、かの芭蕉翁がご覧になったら、怒りのあまり卒倒してしまうかも知れない。 悪戦苦闘は現在も続いており、いまだ解決できない句も沢山ある。いや解決できた句はほんの一握りだ。こんな未熟な私たちだが、幸いにも、「遠くへ行きたい」というテレビの旅番組に出演する機会に恵まれた。芭蕉の足跡をたどって俳句をマイムにして旅をするじ芭蕉の句の理解を深めることができる。「月日は百代の過客にして、行さかふ年もまた旅人なり……」。思えば、二十年近く前にマイムの魔力に魅せられてしまった私は、その瞬間から知らず知らずのうちにこの「機知の精 髄」を求めてさすらう、生涯の旅人になってしまったのかもしれない。そしてこの完成することのない旅は、まだまだ始まったばかり。私たちカンジヤマ・マイムは若輩を省みず、日本で初のパントマイムの入門書「おしゃべりなパントマイム」を今月出版する。後から来るであろう、より優れた旅人たちの道標になればと念じている。

(ふじくら・たけお=カンジヤマB、バントマイミスト)