ピアノとパントマイムによるショパンの生涯!


いよいよ26日(火)、今年3月に初演した「ピアノとパントマイムによるショパンの生涯」の再演です。ここ一年以上、常にどこへ行く時でも聴き込んで、そして本などによりその生涯を追いつづけてまいりました。前回よりさらにパワーアップしてお送りいたします。今回はそのプログラムノートより自分とショパンの出会いをご紹介いたします。(以下プログラムより)

ショパンと私の本格的な出会いは、私の最初の師匠、ヨネヤマママコ女史のスタジオでした。当時18歳の私は、来日したマルセルマルソーの舞台に心酔してしまい、大学を中退し、ママコさんのスタジオに通い始めておりました。スタジオでショパンの夜想曲を使い、夢、ファンタジーの世界へお客様をご招待するという動きを何百回も繰り返しやらされた経験を思い出します。あまりにも美しい曲になかなか自分の身体が付いてゆかない。自分の不器用な身体を恨みながらこの曲に全身で耳を傾けた思い出があります。あれから39年後(注:今となっては40年後)まさか小林先生のような素晴らしいピアニストにお誘いを頂くなどとは夢にも思わなかった事です。光栄であると同時に重責が全身にのし掛かっております。こうなったら全身何もかも脱ぎ捨ててショパン様にすべてを委ねるしかありません。どうぞ降りてきてくださいと祈り続けるのみです。

7月26日 代々木上原、MUSICASA にて19;00 開演です。

2016-07-25 05:39 | つれづれなるままに | コメント(1)

永六輔師匠と その五


思えば、永さんはラジオの人だ。自分でその場所、電波の届く先へ出かけて行って、そしてその現場の空気をラジオに持ち帰るというこだわりを持っていた。しかし、また、テレビにもかなりのこだわりがあった。カメラはいつも僕の目線でついてきてください!!といつも旅番組でカメラのスタッフやディレクターに注文をしていたのを思い出す。そしてそのテレビにかなりご一緒させていただいた。最初にご一緒させていただいたのはテレビ東京が1980年代の終わりごろに放送していた「浪漫街道」という番組だった。(以下過去の私のブログより)

最初にお世話になったテレビがテレビ東京の「浪漫街道」という番組。各著名人がそれぞれのロマンとは何かという事をテーマにした30分番組で、永さんは私達が当時稽古場をかりていた群馬県山奥にある南牧村という村をそのロケ地に選んでくださった。そしてまだ駆け出しのカンジヤマを育てるというテーマでカンジヤマの稽古場を訪れて色々な話をし、村人を前に公演をするという設定。永さんのその時の最後の「浪漫とは?」の定義を思い出す。「浪漫の浪は波のように儚いもの、そして漫とは取り留めのないこと。雲のように漂い、水のように流れる、雲水」これが永さんの定義した浪漫、番組最後の言葉がこれだった。 かっこよかった!!そして奥深かった。(2011年6月のブログより)

このブログを書いたのは2011年。ちょうどカンジヤマが鈴本演芸場での独演会を予定していた時に、永さんのTBSラジオ「土曜ワイド:永六輔その新世界」に生出演させていただいたときのこと。その時書いたこと:・・・ 「今朝のラジオでも話題になったが、当時の永さんが現在の私の年齢、そしてそれから四半世紀が過ぎ、私がその年齢になった。感慨深いものがある。しかし、今の私にはそこまでの深みはない。到底かないっこないのはわかってはいたが、しかしやはり自分の無力さ,小ささに改めて気づかされた。」

そんな永さんはいつも何かシリーズでテレビ出演が始まると必ず私たちカンジヤママイムを切り込み隊のように最初に使ってくださったのだ。「山城新伍のおまちどうさま」というTBSの昼の番組、そして「二×三が六輔」という深夜番組、また日曜日のテレビ朝日の「題名のない音楽会」などなど数出ることになる番組には必ず初回はカンジヤマを使用してくださった。嬉しかったし、荷が重かった。でも今から思うと本当にありがたい事だった。(写真は「新伍のお待ちどうさま」に出演した際のもの。バックに山城新伍さんと永さん。)

やがてこれらのテレビ出演がカンジヤママイムの様々な他のテレビ出演へとつながっていった。笑点もしかり、遠くへ行きたい、花王名人劇場も、そしてNHK演芸広場から笑いがいちばんまで。もとはといえば永さんにこのようにご一緒させていただいたおかげなのである。なんと幸運なマイム芸人であろうか。合掌

2016-07-20 12:01 | つれづれなるままに | コメント

永六輔師匠と その四


17日日曜日は早朝より、よみうり日本テレビ系列で「遠くへ行きたい」の特別編があった。もともとこの番組は永さんのご自身の作詞である、「遠くへ行きたい」という曲がテーマの旅番組の先駆けとなった長寿番組だ。カンジヤママイムも僭越ながら90年代の半ばより2001年まで、なんと計10回もこの番組に旅人として出演させて頂いている。ワクワクしながら、永さん出演の第一回放送から、その時代時代の永さんの旅へのこだわりが綴られている一コマ一コマに注目した。大笑いしながらまた涙がでてきた。

ちょうどこの前日16日は松戸においてNHK「おかあさんといっしょ」の公開収録があり、そのパント!のコーナーの指導もかねて松戸を訪れたので、この番組は92歳の母親と実家で一緒にみることができた。自分がマイムで悶々としていた時にいかに永さんがカンジヤママイムをサポートしてくださったかを身近に知っていてくれる存在の一人が母親だったので嬉しかった、そしてだからこそ、なおさら二人で永さんの話題に花が咲いた。

旅番組の中でもご自分の主張をたっぷりと取り込みながら、ユニークな視点でユーモアに満ちた演出を心がける師匠に心から感服した。と同時に、この番組に何度も出演できたことに心から感謝した。そして所々の永さんの奇抜な演出を見ているうちに、自分たちの次回出演の予告に永さんが出演してくださった時の事が頭によみがえってきたので、今回はそれも是非ここに紹介しておこう。

その回は秋田編だった。役者の山谷初男さんのご実家のある角館で山谷さんが「はっぽん館」という小さな劇場を開いた。そこで永さんとその仲間たち(内海好江師匠、斎藤京子さんら沢山の芸人さん達)でそこへ駆けつけてお祝いに寄席をやろうということになった。それを聞きつけた「遠くへ」のディレクターがカンジヤママイムを使ってくださり、その寄席仲間としての出演と同時に、それをレポートする旅人として角館の桜や、その近くの発祥である「どんぱん節」の由来を取材することになったのだ。

一通りの取材を終え、はっぽん館にて寄席をすべく皆さんと合流し、その撮影の合間に番組の予告編を収録することになった。ご存知かもしれませんが、この「遠くへ行きたい」の最後に必ず「さて、次回の遠くへ行きたいは・・・を旅します。お楽しみに!!」という短い予告編が流れます。これを毎回旅先で収録するのです。

早朝角館駅前で収録となり、なんと永さんが、われらカンジヤママイムの予告編に顔を出してくださることとなった!!手順はこうだった。私が、「さて、次回の遠くへ行きたいは、秋田は角館を巡る旅です。さてどんな旅になるのか・・・」といって地面からマイムで綱を拾い上げ、それを引っ張ると永さんがその綱に引っ張られて登場するという段取りだった。そして、いざ本番!!カメラが回り、私が、セリフをいい、綱を引っ張ると永さんがそれに引っ張られて出ていらしたのだ。だが、次の瞬間、永さんが何かに大きくつまずき、ドーンと私の前に倒れてしまったのだ!!私は慌てふためいて、「あっ、永さん!大丈夫でしょうか?お怪我ないですか?」と動顚して永さんに手を差し伸べて屈みこんだ。

そして次の瞬間、「あ、やられた!!」と思った。永さんはニコニコしながら起き上がり、カメラのスタッフに「どう?面白い絵撮れた?」と聞かれたのだった。笑 真面目に必死にやるしか余裕のないカンジヤママイムの予告にこうして突然の意外性を与えて面白くしてくださったのだった。やられた!!!と思うと同時に、さすが師匠!!と感服した。このようにしてカンジヤママイムは肌で永さんの様々な演出に触れ、そして沢山の事を学ばせていただいた。こうして書いている途中でも目に涙があふれてきてしまう。本当に凄い人とご一緒できたカンジヤマは幸せ者だった。そしてこのものすごい才能と努力の師匠のそのエンターテイメントへの情熱をほんの僅かでも引き継いで行けたらと思う。

2016-07-18 04:30 | つれづれなるままに | コメント