永六輔師匠と その八


前回に引き続き, 永さんとの全国の旅の一場面を、永さんご自身がその著書でご紹介頂いた一節です。以下、永六輔著『あの町この人その言葉』137ページより

「カンジヤマ・マイムと山形で」
パントマイムのデュオ。作品のなかに「奥の細道」がある。この日、大阪で芭蕉真筆の発見。せっかく山形にいるのだからと、山形編をリクエスト。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」「五月雨をあつめて早し最上川」などなど名句をパントマイムで。
「パントマイムのパンはパン・パシフィックのパン、ピーター・パンのパンです。すべてという意味もありますから・・・」
この二人、寄席にも、子供たち相手にも品があって好評。
「奥の細道」山形編は山形でも絶賛。司会者として鼻が高かった。
そして、「奥の細道」を「黙の細道」と紹介。(引用終わり)

この時、たしかカンジヤマ・マイムはちょうど山形を旅公演していた時で、永さんがそれを聞きつけ、私たちをお誘いくださったのだ。未熟な芸ではあるが、それを永さんが司会で面白可笑しく紹介してくださるとお客様もいつも以上に興味をもって見てくださるのが凄いと思う。自分はこの話芸が習得したくて仕方なかった。いつもこの永さんの話芸には感服だった。山形での俳句マイム。思い出深いものがある。

実はカンジヤマ・マイムが旅人として初めて、よみうり、日本テレビの「遠くへ行きたい」に出演した第一回目もこの山形の旅だった。一番最初にべに花染め農家を取材したときに、農家のおばあさんたちの山形弁がさっぱりわからなかったのを思い出す。取材し、質問したのに、その返ってきた答えがまったく理解できないでいた。するとディレクターが、「そのままきいてうなづいて!」というので、そうさせていただいたのだが、後でちゃんとテロップが付いていたのに納得(笑)いろいろと学ばせて頂いた。山寺でせみの俳句をマイムで詠み、そして最上川にて五月雨を~をマイムで詠んだ。なんという幸せ!!

2016-08-02 12:17 | つれづれなるままに | コメント

永六輔師匠と その七

永さんは本当によく本を書かれていらした。旅先で起こったこと、感じたことなどなどを小まめにご自分の分厚い手帳に書き綴り、それらを様々な新聞や週刊誌の連載に載せ、そして最終的にそれが一冊の本となる。私たちカンジヤマ・マイムも旅先でご一緒させていただいた事を何度も載せて頂いた。すると必ずご丁寧に本を送ってくださり、その本に一言書いてくださるのが常だった。まずはここでは最初に載せて頂いた本とその内容をご紹介する。今でもこの文はカンジヤマ・マイムのウェブにおいても永さんにご許可をいただいて推薦文としてその一部を使わせていただいている。以下、永六輔著、『逢えてよかった!:僕のメディア交遊録』(朝日新聞社)からの抜粋です。これは当時朝日新聞に連載されていらした『僕のメディア交遊録』というコラムから本になったものです。

「カンジヤマA・カンジヤマBさん [笑い]もとれるマイム

あらゆる筋肉を一瞬にして緊張させ、次の一瞬にはそれを弛緩させてしまう。
または、特定の筋肉だけを自分の意志通りに動かす。
こうしてパントマイムはその肉体表現を作品にするのである。
と簡単に書くことは出来るが、肉体表現だけで観客を笑わせたり、感動させたりするとなると、これは困難な事だ。

自己満足の作品が多くなるパントマイムの世界で、寄席の高座でも好評なのが「カンジヤマ・マイム」のコンビである。つまり、色物として芸人志向のマイムをつくっているのだ。
例えばマルセル・マルソーを芸人とは言わない。芸術家というが、芸人と芸術家は芸の差ではなく、意識の差である。

カンジヤマは、漫才、マジック、曲芸の世界に飛び込んで、芸人としての修行で、マイムを寄席の世界に定着させてきた。
一方で基本的なマイムを寄席の芸人に教えるようにもなり、相互に刺激を与えているのがよくわかる。
このカンジヤマのマイムのベースがヨガ。「このところ、困っています。ヨガというだけで、オウム真理教だと思われてしまうんです。真面目にヨガを学んでいる人たちにとって、こんな迷惑なことはありません。 正しくヨガを理解してくださればいいのですが、ヨガにしてもパントマイムにしても、この国ではまだなかなか・・・。
でも、なかなかだからこそ楽しいですね。寄席がマイムを受け入れてくださっただけでも画期的でした」

僕はこの二人が、寄席以前のステージで公演したパントマイム「奥の細道」に感動した。そこでは見事な芸術家だった。

2016-07-31 10:24 | つれづれなるままに | コメント

永六輔師匠と その六


永さんとの思い出をすべて綴ろうと思ったら僕はおそらく死ぬまで書き続けなくてはならないと思う。そのくらい自分の話芸、いや人生そのものにインパクトを与え続けてくださった存在なのだ。そしてそんな不詳の弟子の舞台にもこまめに足繁く通ってくださった。4年前の三越劇場での公演の際も車いすで付き添いの方をお連れになってわざわざいらしてくださったのには涙がでた。そんな優しい師匠が一度僕の息子にまでわざわざハガキをくださったのだ。

6年前の鈴本演芸場での奥の細道の公演の際の事です。毎回、僕は奥の細道への導入を何とか現代と結びつけるべく様々な演出をしてきた。高校生の男女が学校帰りにカラオケに行こうとあるいていると、立ち止まり、フリーズ、その後二人は年老いた夫婦になって自分らの人生を振り返る。あるいは、現代の葬儀の場面から始まり、その友人の葬儀に集まった旧友達の間の会話から過去を顧みて人生を想ったり・・・そしてこの6年前の時は、父親が保育所に息子を迎えに来て、帰り道に遊びで子どもに覚えさせている奥の細道の導入部分を親子で暗唱しながら、旅って何だろう、東北ってどんなだろうと、東北新幹線の開通にちなんで親子で簡単な会話をするという設定だった。ここで当時4歳だった息子が奥の細道を舞台上で暗唱した。もちろんこの時の観客の驚きと拍手は凄かったのだが、公演の翌々日、永さんからわざわざ一通のハガキが届いたのにびっくりした。それがここに貼ったハガキである。永さんが自分の息子にわざわざおほめの言葉をくださったのだ。今ではこれは息子の宝物である。(もちろん自分にとってもだ!!)
ハガキもわざわざ子どもの為にお選びになっているところが凄い。こういう細かい気配りを一体師匠は何千人のいや何万人の人々にされてきたのだろうか。自分だけでも、どれだけ師匠からハガキを頂いたことだろうか。いつもたった一言、でもその一言がありがたいのだ。そして振り返ってこれだけの気配りを果たして自分はできるだろうか。いつも考えてしまう。

2016-07-29 01:33 | つれづれなるままに | コメント(2)