嬉しいメールの数々

帰国後、ここのところ突然依頼された演芸場の代演やら、いよいよ締切間近の論文審査の評価などに追われて、またまたブログが滞ってしまった。論文審査の締切に追われ、悪夢をみるような思い(苦笑)
だが、そんな中、世界中に散らばっている教え子たちから嬉しいメールが続々と届いた一週間だった。アメリカ、中国、アフリカその他に留学中の大学生の教え子たち、そして韓国などに卒業後帰国した学生。自分で言うのもなんだか照れ臭いが、みな一様に授業が面白かった事、そして自分の授業により、演劇の楽しさ、舞台の面白さに目覚めた事を書いてくれていた。教えていて最高に嬉しいのがこういった反応を直にもらった時だ。でもこれって邪悪な梨園への道に若者を引きずりこんでいるのだろうか?(冗談・笑) 
因みに近頃息子が見ているDVDのピノキオ(ディズニー版)をよくよく見てみると、なんと妖精によって半分人間にしてもらい、これからその「勇気と良心」を試されようとするピノキオに最初に訪れる試練がキツネ達に「劇場に誘われる事」なのであった!!おいおい、最初の試練が劇場かい?!(苦笑)つまり、子どもたちへの最初のメッセージが「よい子は劇場へ行きません」かな?(爆) ちなみにわが息子は現在言うことを聞かないと、プレジャーランド(ピノキオが再び学校をさぼって馬車に乗り込み連れて行かれる享楽のカーニバル遊園地で、やがてそこでは子供は皆堕落の果てにロバになってしまい、売られてゆく)に連れて行かれるというのが物凄く怖いらしい。(苦笑・別にむやみに脅かしているわけではなく、親の呼び声を無視してどこへ構わず走って行ってしまうと迷子になってしまうという比喩です。)
ところでイタリアを旅していて気付くのがこのピノキオのキャラクターの多彩さだ。そして、同時に私たちが如何に現代の商業主義によって歪められたイメージやストーリーを刷り込まれているかということ。ほとんど現代の日本人やアメリカ人がピノキオと聞いてイメージするものは、恐らくディズニーの例のアニメキャラクターだろうし、その筋書きだろう。しかし、原作のピノキオはディズニーとはイメージもストーリーも大きく異なるものなのだ。もともとこのピノキオとはイタリア、フィレンツェ出身ののカルロ・コッローディ(Carlo Collodi、1820-1890)という作家が1881年にローマの「子供新聞」の為に創造した童話で、出版は1883年で、実際にこの作品が人気を博すのは彼の死後であったという。詳しくは次回に!!
(写真はローマの街角で見かけたピノキオの人形と原作者のカルロ・コッローディ)

2009-03-16 04:25 | ひとりごと | コメント

究極の人形芸人!?

フィレンツェ、ローマと美術館めぐりをしたが、それぞれの建物の近隣に必ずイタリアの大道芸人が目に付いた。金色のローブをまとってツタンカーメンになりきって止まっている芸人や全身白塗りで白いチューニックをまとって石像になりきる芸人。それなりに面白いのだが、今一つオリジナリティーにかけていた。どこにでも見られる景色だ。別に感動もしないし、芸にほれぼれするでもなかった。聞き込み調査したが、やはりイタリアでもマイムはいまいち過去の芸術という認識が共通しているようだ。その中で、やはり極めつけはパチカンの回廊入口にいた守衛さんだった。(写真) これが凄い!ただひたすら一点を見詰めたまま微動だにしない。その昔、子供のころ、横浜ドリームランドに連れて行ってもらった時に、あのロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵さんもどきに衝撃を受けたのを覚えているが、まさにあの人形芸人の究極の姿だ。しばらく見とれてしまった。彼の人生って大半がこの状態の連続?何を考えているんだろう?もしかしてなにも考えていない?この人ってもしかして、集中力もさることながら、ものすごい悟りへの到達者?だとするとどんなカトリック司祭より凄いことになる。彼の中に神がかりなものを見たような気がした。まさに職人芸だ!

2009-03-11 09:03 | ひとりごと | コメント

Birds of a feather!?



世界でもこんなに大勢の素人マイム芸人たちを一日中見ていられる場所はそうはないはずだ。かわるがわる老若男女がここに到着してはカメラに向かってパントマイムを始める。まさに人間に内在するドラマチックインスティンクト(劇的本能)をまざまざと見せ付けられた一日だった。フィレンツェからここピザに移動して、かの有名なピザの斜塔の下にたたずんで周りを見渡す。次々に訪れる観光客がなぜか皆一様に同じポーズをするのがおかしくて、斜塔よりもそちらの写真を取り捲った(爆)みなマイムの壁のポーズをとり、斜塔を支えようとする格好で写真を撮ろうとするのはホモサピエンスの普遍的な衝動なのだろうか!?おばあちゃんから、若者、男女の違いを問わず、また団体すらも含めてその無邪気さがおかしくてたまらなかった。みなマイムの「カベ」やってるじゃん!!このようにちょっと変わったきっかけ的な導入さえあれば、人間は簡単に想像力を刺激されて、身体を使って遊ぶようになるのだ。この導入のヒントこそ、教育演劇の手法の真髄だ。子供、若者の教育、いやすべての人々の教育にはこの「きっかけ」を与える導入になる味の素ならぬ、「遊びの素」が必要なのだ。さあ、みんな斜塔に向かってカベやってみよう(爆)

2009-03-10 03:49 | つれづれなるままに | コメント(3)