シエークスピアは落語から!

赤坂区民センターにて古今亭志ん輔師匠によるシェークスピア落語の会が行われ、ゲスト出演させて頂いた。初めてリア王を落語で聴き、それは頭が下がる思いだった。凄い!本当にすごいのだ!シェークスピアは読めば読むほどドンドンその奥深さに入り込んでしまい、枝葉末節が気になってしまうものだ。確かに楽しんではいるのだが、同時にどこか「やはり異文化の産物、自分の文化に自然と馴染むものではない」というのが一般的日本人の正直な感想ではないだろうか。学生に説明する際もいつも試行錯誤しながら、どうしたらエッセンスを面白可笑しく教えてあげられるかに悪戦苦闘する。勿論そこに多くの普遍性は潜んでいるのだがどこか異国のものなのだ・・・例えばリアで言えば、道化と王のやり取り。これは中世の道化と王の特殊な関係をわからない素人の方々には一種異様に聞こえるのだ。エリザべス演劇に特徴的な多くのシーンチェンジ(episodic drama)や時間的移動もその原因の一つ。そこで、その周辺の枝葉末節を思い切って割愛し、普遍性を思い切って日本文化に翻案し、しかも落語的な味付けを加える。これが見事に成功しているのだ。シェークスピアがイマイチ馴染めないという日本人にはぜひお勧めする!そしてシェークスピアに触れたことのないという若者には是非ここから入っていって見て頂きたい。これは実に自分が学んできた教育演劇の理想的手法を実現しているものだと思った。最初から全てを知ろうとするのではなく、(あるいは教えようとするのではなく)、その楽しさを教えるのだ。以前もこのブログで引用した英国のことわざだが、子供に航海術を教えるには細かい技術を教え込むより、ただ単に海の魅力、すばらしさを教えればよい、そうすれば子供は自然と海にこぎ出そうと自ら学ぼうとするのだ!今度自分の授業でこの落語必修にしようかな?!(笑)とにかくまた一つ落語の奥深さを見せつけられた一日だった。くそ~、マイムだって・・・(汗)

2009-03-22 07:36 | つれづれなるままに | コメント(2)

新宿~赤坂にて

昨日は、新宿にて若者たちにマイムの指導をする機会があった。とてもやりがいのある楽しいひと時だった。みんな真剣に取り組んでくれたのだが、しかし、やはりどうも身体表現は日常では軽視されているようだ。日常の他人の仕草、表現を観察する事もなくなっていることをつくづく感じた。ただそれを何とかして動機づけてあげないとならないのも現実問題なのだが、なかなか難しい。最近若者の言葉が貧困になっているというが、言葉だけではないのだ。改めて現代におけるマイムの意義を問い直すきっかけになった。
今日21日(土曜日)はこれから赤坂区民センターにて、古今亭志ん輔師匠のゲスト出演。師匠は定期的にシェークスピアの落語翻案を試みられているという。刺激的なひと時だ。いつもものすごい勉強になる時間だ。今回はリア王に挑戦されるという。ん~、いつかマイムでもと思っている。しかし、この寡黙な芸はあの雄弁で饒舌なBard of Avon の前では金縛り状態のようになってしまう。しかし、いつか、いつかしら・・・・

2009-03-21 05:47 | つれづれなるままに | コメント

ピノキオ考

もともとこのピノキオは作者コッローディの故郷である、フィレンツェの街の子供たちをモデルにしたとされている。「ある操り人形のお話」という題で始まったローマの「子供新聞」の為の連載物語なのだが、最初はしゃべる丸太が人形にされる。そして怠け者で勉強大嫌いというキャラクターとして様々な冒険をしてゆく。ディズニーとは違い、妖精も美しい女性ではなく、青髭であり、アドバイザーとしてのコオロギですらピノキオは途中で石を投げつけ殺してしまうのだ!!原作の新聞連載では当初ピノキオはキツネとネコに騙されて、挙句の果てに木に首を吊られて死ぬ場面で終わったのだった。ところがその子供新聞に抗議が殺到し、新聞社の説得によってコッローディが新たに物語を再開させられたのだ。つまり、ここで妖精に救われるというわけ。
ピノキオに関してはもう一つ面白い逸話がある。それはアメリカでおこったフェデラルシアタープロジェクト(連邦劇場計画)と呼ばれる一連の政府が奨励した運動でおこったことである。このプロジェクト自体は1929年のアメリカ大恐慌後のニューディール政策の一環としてWPA(公共事業促進局)が打ちだした芸術家支援計画の一つだ。要するに政府が金を出して失業中の役者や劇作家たちに職を与えようという、それは夢のようなもの凄い計画だったのだ。もっとも二次的な目的として貧困層の人々たちにも観劇のチャンスを与えようということだったらしい。とにかくこの運動は後にも先にも政府主導の最大規模の演劇推進運動だった。(ウィスコンシン大学の友人がこのプロジェクトに関する博士論文を執筆中なのだが、面白い逸話は後を尽きない。)
とにかく、このプロジェクト自体1935年から39年まで続いたのだが、それはそれは物凄い規模でアメリカ全土で実験的な演劇が創造された。もちろん児童用の演劇も例外ではなく、全国で百花繚乱の実験が行われたのだった。最初の政府の態度としてはあくまでその内容に不干渉という立場で臨んだのだが、徐々にその過激な内容に干渉せざるを得なくなる。そしてその過激さと予算の限界が原因で結局政府は1939年に予算を打ち切る決議を出し、すべてのプロジェクトの終了を宣言することになる。当時児童劇はこの「ピノキオの冒険」をニューヨークの劇場で上演中だったのだが、その最終公演でこの劇はその政府のプロジェクト終了決議に最後の抵抗を見せつけることになる。ピノキオが最終場面で人間に生まれ変わるハッピーエンディングを迎え、舞台袖に引っ込んだ後、袖で大きな銃声が響き渡ったのだ!!そして暗転の中、袖で誰かの叫び声が聞こえた。「ピノキオが撃たれた!!」「なんだって?!いったい誰がピノキオを殺したんだ?」「政府だ!合衆国政府がピノキオを殺したんだ!!」・・・・・

2009-03-18 06:37 | ひとりごと | コメント