青春のS&G

ついに、ついに!そして遂に!Simon & Garfunkle (サイモンとガーファンクル)の東京ドームコンサートのチケットをゲットした。2003年にマディソンにいたころ、忙しい論文の最中に思い切って一人で車を走らせ、シカゴのユナイテッド航空のアリーナまで見に行ったのを思い出す。朝早く起きて、自分でおにぎりを作り、そして大好きな梅干しとオカカをまぜていれて海苔でつつんだものをかじりながらカーステレオでガンガン流してS&Gを聞きながら胸を躍らせていた。3時間も早くついたのだが、列にならぶ初老の見ず知らずのアメリカ人夫婦とそれぞれのS&Gの青春の回想を分かち合いながら楽しい会話で時間が止まっていた。その前回の1981年のセントラルパークコンサートの時、自分は初めての留学と格闘最中でおしくもニューヨークにいながら見損なったのが悔しかったのだ。その後クイーンズに住む友人にS&Gの育った街(♪my little town)を案内してもらったこともある。
わが青春の音楽!(ってこれしかないのも寂しいが・・・)。中学一年の時に初めてみた洋画が「卒業」。その中でダスティンホフマン演ずるベンの役がアメリカ東部の大学を卒業したばかりの若者。この「東部の大学」いう響きがなぜかやたらに魅力的だった。その後みた映画、「アメリカングラフィティー」でもやはり東部の大学はなぜか特別な響きをもっていた。結局自分はその東部の大学で21から25歳までを過ごすことになる。自分の英語は東部のニューヨークアクセントだとよく言われるが、やはり彼らの曲を丸ごとコピーし続けたのもかなりの影響だといえる。よく友人にidea,chinaなどの最後の音にあるはずのない”R”の発音がはいっていると指摘される。(もちろんこれは中西部の友人にいわれるのだが・・・)
今もfacebookで何十年ぶりにコンタクトをとってくるニューヨーク時代の友人たちはみなS&G狂として自分を覚えていてくれるらしい(苦笑)前回もそうだったのだが、もうコンサートが始まって間もなく、スクリーンに彼らが映り、懐かしい曲が流れるだけで両目は涙であふれてきそうだ。うれしい時、悲しい時、孤独な時、怒った時、そして感動した時、常に彼らの曲が傍らで流れていたような気がする。今から興奮状態だ!!うれし~~~

2009-04-16 10:25 | つれづれなるままに | コメント(2)

新一年生

例年より遅れて今日から玉川大学での担当授業が開始された。芸術教育と支援、そして演技基礎(マイム)の実技だ。芸術教育論・・・日本でこの科目が受講できる大学はそれほど多くないと思う。もともとこの芸術教育は大正時代にここ、玉川大学創始者の小原先生が坪内逍遥とほぼ時を同じくして提唱され、その後社会の注目を浴びることになったのだ。今でこそ芸術=教育ということをそんなにいぶかしげに思う人はいないと思うが、当時は何しろ芸術、特に演劇といえば河原乞食の別称をもつ特別な世界の人間が行うものであった。それが教育と結びつくなどということを想像すらしなかった人々が大半ではなかったのか。その小原先生が創始された玉川学園、そして双璧のもう一方の坪内逍遥先生の早稲田で講義ができるこの幸せ。かみしめながら講義をしている。
話を元に戻して新学期、新しい若者が希望を胸にクラスを取り始める。彼らに秘められたポテンシャルは無限だ。これからどうにでもなる素材。素晴らしくもなれば、最悪の人間にも成り得る。楽しみだね~笑

2009-04-14 10:12 | つれづれなるままに | コメント

子どもを侮るな

最近三歳の息子にせがまれてYouTubeで鉄道のモデル、プラレールの動画を見せることが多くなった。先日彼のテーブルに様々に連結されたプラレールが並んでいるのが目に入り、正直な感想として「まだまだ子供だな」と思ったのである。なぜなら連結した車両をみると、すべてランダムな車両が入り乱れていたからである。ドクターイエローという新幹線の点検車両を先頭に、様々な貨物、列車が延々と並び、最後にまたドクターイエローとなっていた。・・・・・ところが、ところがである。ある日ふと思って以前に彼に見せた動画をチェックしてみた。チェックしてびっくり!なんとその列車の配列がもろにその動画で見せられていたプラレールの順番きっちりの配列だったのだ!この動画が気に入って以前に何回か見せてはいるが、その順番をすべて記憶しており、それを自分で延々と再表現したのだった。凄い! 息子個人にではなく、子供の記憶力に驚いたのだ。それと大人が勝手に侮っている子供の思考の内面で起きているそれなりの論理性にだ。思えば、最近、自分の口癖がかなり忠実に真似られていることにも気づく。怖い。苦笑
そこで先日何気なく食事の際に平家物語の冒頭を口ずさんでみた。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす・・・」  冗談半分でやったのだが、それから三日後、彼は冒頭の有名な書き出し(「ひとえに風の前の塵に同じ」というくだりまで)をすべて空で言えるようになっている。まるでスポンジのような記憶力。驚かずにはいられない。まったく意味もわからず覚えているのだ。こちらは先ほど聞いた学生の名前ですらすっかり忘れている。たまに眼鏡をおでこにかけながらメガネを探している(涙)
ちょっと前のニューヨークタイムスの記事だと友人に伝え聞いたが、個人の言語能力は、ごくごく幼少の頃(それが理解できずとも)どのくらい高度な言語に触れたかによるという統計があるそうだ。そういえばアインシュタインら優秀な人間の多いユダヤ教徒の子供たちは、幼少のころからタルムードと呼ばれる戒律などをはじめとする膨大な聖典を暗唱するのが習わしだという。やはり潜在的にこういったものが蓄積されるのだろう。恐るべしである。良いも悪いもすべて吸収してしまう。だからこそ、今のテレビを憂うのだ。だからこそ、寄席でもなんでも練れた話芸を子どものころからきいてほしい。練れた芸をみてほしい。テレビには現在それがない。

2009-04-12 08:50 | ひとりごと | コメント