こむこむ英語のショー

5月5日
さてさて昨年公演した福島こむこむにてこどもの日のスペシャルイベントとして、子供と親の為の英語のショーがあります。今日は渋滞をさけて新幹線移動。その代り荷物が多い!!付近の方はぜひ!!http://www.comcom-fukushima.jp/hpman/event/AC2009_05/data03.html
福島駅よりすぐ、NHKの隣の施設です!!親子で身体を動かしながら英語を学んじゃいましょう!!

2009-05-05 06:46 | 公演 | コメント(1)

5月だ~~

ゴールデンウィークが後半に入り、五月は都内の高等学校の芸術鑑賞会で始まった。講堂にひしめく若者たちの前で久々にいつもと違うメンバー構成でやるといろいろと新鮮さがあって面白い。それぞれのメンバーの間に微妙なバランスの差がでて、それがまた刺激になるのだろう。学生さん達の反応は本当に生き甲斐だ。終演後もみな素敵な顔をして話しかけてくれた。こんな毎日がいつまで続けられるのか。体力の限界との勝負だとつくづく思う。自分はほぼ出ずっぱりの1時間半。最近はかなり身体にこたえてきた(汗・苦笑)
終演後演劇部の生徒さん達と話したが、インプロの本(即興ゲームによるコミュニケーションの探究と心身の解放)がやはりどこの演劇部にいっても流行っているらしく、ここの学校でも使用していたと聞く。これには少々の危険がはらむ。インプロゲームを真に理解し、指導出来る人間が日本には少ないからだ。地方をまわってインプロの指導者を名乗る人々にあうと、そのほとんどが数週間のワークショップをうけたあと、自らを指導者として名乗りをあげている。つまりインプロのゲームのルールがわかれば、それで指導ができてしまうのも怖いのだが、本人が本当の目的、方法、詳細の対処を知らずにただただルールに基づいてインプロができるだけで指導者であると思いこんでいるのだ。
日本のような集団迎合が得意なグループを扱う場合にはこれはこれで何も問題が起こらず済んでしまうことが多い(だからこそ余計に危険なのだ!)、しかし、そこに一人でも異文化、或いは迎合できない人間が入った時の対処の仕方、そしてそれが他のメンバーに及ぼす効果などなど、これらを実際に体得できるのには少なくとも実地で3年はかかるのではないか。そして常時試行錯誤を再確認できる会合のようなものが必要だ。アメリカではこのようなリーダーたちの会合が頻繁に行われ、そして互いの試行錯誤を吟味しあう。
とにかくマイムが演劇の基礎であり、そのインプロの原点のようなものであるという認識がまだまだ日本には根付いていないとつくづくおもった。今後この方面でも様々な普及活動が必要なのかもしれない。

2009-05-02 09:39 | 公演 | コメント

信じることと疑うこと

スーザン・ボイル(Susan Boyle)があちこちで話題になっている。イギリスのいわゆる素人を対象にしたタレントショー(Britain’s Got Talent)にて超田舎者の風貌の47歳のおばちゃんが登場し、審査員が小馬鹿にした質問をぶつける。「なぜその年まで歌手になりたいのになれなかったの?」それに対して彼女は、「今までチャンスがなかったの。今日がそのチャンスになるのかも」会場は嘲笑につつまれ、何人かは彼女の目指す歌手名「エレン・ペイジ」に対して憐れみと嘲りが混じった顔をゆがめる。やがて、彼女がミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢やぶれて」(I Dreamed a Dream)を歌い出すと会場の反応は今までとは正反対のものとなる。審査員の表情は嘲笑から驚きに豹変しやがて歌のエンディングは満場の拍手とスタンディングオベーションに包まれる。こんなYOUTUBE動画がものすごいアクセス数らしい。
冷静に考えて、審査員その他がテレビの本番前までに出演者の誰か、何をするのかを知らないわけがない。リハーサルもあれば、顔合わせもあるだろう。であるからして、これはある程度の演出であり、審査員の表情は決して本当に初めての純粋な驚きの表現ではないと思われる。が、しかし、やはりここで考えさせられるのは熟練された芸というものの力である。少なくとも観客は彼女の歌の力を知る由もない。そして演出がどうであれ、やはり歌に相応の力がなければ、あれだけの会場のどよめきを作り出せたはずがない。これはある意味、とても芸の演出というものを真剣に考えさせられる場面だった。
第一に歌自体の威力がある。レ・ミゼラブルのI Dreamed a Dreamはその歌自体が人生の深い哀愁を見事にうたっている。歌詞を聞くだけで自分は毎回泣いてしまうのだ(お恥ずかしい・汗)昔、ブロードウェイでこのミュージカルを見た時の全身で受けた感動は今も体の記憶として残っている。
そして、もちろん彼女の歌声。これも自分のあるブロードウェイ体験を彷彿とさせたのだが、以前あまり英語がわからない時にみたウィンター・ガーデンシアターの「キャッツ」。あまりにもダンサーたちのナルシスト的な目くらましのテクニックに少々麻痺し、飽きがきて「ミュージカルってこんなもんか?」って思っていた時にきいた老猫グリザベラが歌う「メモリー」!これには泣けたのだった。そのころ、ん~十年前の自分にはとてもストーリーを英語で追えるようなものでなかった故に、この歌のコンテクストもなにもわからずにきいた。しかし、それでも泣いてしまったのだ。芸はすごい!!ちょうどこんな記憶が呼び覚まされた。
そして最後にこの演出。あるブログにて最近のミスUSAのコンテストをみたのだが、もしもこの英国の番組にあのような絶世の美人が出てきて、期待に添うようにあの美声を見せたらこのような感動とはたしてつながったのだろうかとつくづく考えてしまった。まず第一に歌の内容と彼女の年齢、風貌はあまりにフィットしている。彼女の内面からあふれる人生の重さをその歌詞とともに見事に表わされているような気がする。
だが、実はもう一つ違う側面も考えられる。人間は期待をある演出で裏切られるのが大好きなのだと思う。その裏切り方が嫌みがなく、そして自らの既成概念を見事に打ち破ってくれ、その上普段自分が望んでいるものの実現をみせてくれるものが大好きなのだろう。心のどこかで信じている、いや信じていたい理想がそこに実現されるとき人間は純粋な感動を受ける。そう、人間は表面じゃないんだよ!と人々は何百回、何千回と聞かされてきた、しかし、実際の人生でそんな理想之実現をみるのは稀だ。今では陳腐になっておそらくその内容をほとんどの人が信じていない世の中だ。Never judge a book by its cover (見かけで内容を判断するな!) そんなこと言っても現実を見ろよ、しょせん美人が得をし、そして高価なものを身につけている者が勝者じゃないか!!これが世の常なのである。この言葉を常に半信半疑で完全には信じられなかった人々がまさにこの瞬間にその普段の期待(予期する答え)を完璧に裏切られ、その理想を信じることができたのかもしれない。そしてそれがこれほどまでの感動を生むのではないか・・・などと考えてしまった。

2009-04-22 08:58 | ひとりごと | コメント