三田にて

昨日、息子に付き合って、慶應義塾大学三田キャンパスを訪れた。彼に約束した高校合格祝いの慶應グッズをプレゼントするのが目的だった。帰り際、何気なく東門付近を散策中、胸像に気付き、それがなんと!小山内薫である事を発見!!初めて知ったのだが、小山内薫はここで永井荷風らと共に文学を教えていたのだった!!小山内薫と言えば日本の新劇の生みの親とも言われる演劇界の重鎮だ。明治期に西洋劇の受容の方法に大きく二つの流れがあった。一つは坪内逍遥率いる早稲田の文芸協会。そしてもう一つが小山内薫が市川左團次と共に立ち上げた自由劇場。長期の江戸幕府の鎖国政策の結果、それまでの日本には歌舞伎、文楽などの形式美を追求するものが演劇として栄え、明治期には役者というと主に歌舞伎役者を指した!そんな時、西洋からのイプセンをはじめとするリアリズム劇が入ってくる。それらの現代劇を受容すべく、小山内薫はあえて左團次のようなプロの歌舞伎役者と共にまずは、イプセンのジョンガブリエルボルグマンを上演するが、一方の坪内はあえて形式的な演劇を避けるために素人の役者を募集し、歌舞伎の呪縛を離れ、一から西洋劇に対峙しようと試みる。考えてみれば、すでにここに早慶の対峙が見られるのが面白い!まあ、結果としては坪内の中に根深く残る歌舞伎的思考が障壁になり、思ったほどには現代劇としての効果は得られなかったようだが、それでも文芸協会の帝国劇場におけるイプセンの人形の家は一大ブームを引き起こし、ちょうど時期を同じくして設立された平塚らいてう率いる青踏の発行する機関紙の第一号に、人形の家で主演した松井須磨子が特集され、女性の地位などについてのインタビューを受けることになる。
一方の小山内薫はその後も築地小劇場などを立ち上げ、日本の演劇をリードするのだが47歳で急死、、、、、その時、残された小山内の三人の御子息達の教育費を何とかするべくここの慶應義塾の有志達が立ち上がりかなりの募金を集めたという美談を知り、感動した!!様々な学びがあった一日だった。息子にその話を噛み砕いてしたのだが、どれほど理解してくれたろうか。まあいい、後で振り返ってくれるだろう。
2021-02-21 01:42 | つれづれなるままに | コメント

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