いけないとは思いつつ・・・

最近二つの理由でブログがかけなかった。一つはPCの調子。でも、これは救世主が現れてくれ、一件落着。ブラックジャックのようなすごい友人がパソコンをいじってくれたらすぐにグズっていた自分のPCがご機嫌になってしまったのだ。それにその友人、なんと論文受賞祝いにと自分でパソコンを作ってくれたのだ!!・・・・へっへっへ、うらやましいでしょ?なんとこんな良い奴、めったにいないぜ(笑) とにかく、持つべきものは友人である。こんなしてもらってどうしようと実は今も恐縮して右往左往している。本当に自分は幸せ者だ!
と、もうひとつの理由がとにかく耐えられなくなってきた最近の世の中の風潮。前回の前回の読書に関するブログにコメントを書いてくださった方がお勧めの岩波新書の「ルポ、貧困大国アメリカ」を読んだ。そして、その直後にNHKスペシャルの「戦場、心の傷」の1,2を連夜続けてみたのだ。二極化した社会の裏に下層市民を戦場の最前線におくりこみ、「捨て駒」にしてゆく弱肉強食の世界を見せつけられたような気がした。今まで自分がお世話になってきた自由の国アメリカではあるが、その影をある程度知ってはいたものの、改めて目の前に見せ付けられた。思えばアメリカでの自分の周りは希望する教育が受けられる「幸福な」人間たちが集まるアカデミアの世界だった。あまりにも醜い上層部のむさぼりと冷酷さが露呈している。こんな国が果たして自由の国なのだろうか?この本は今すごい勢いで売れているというが、是非読んでいない方は読んでほしいと思う。なぜならこれは他人事ではないからだ。
なぜなら振り返ってみると日本も、大同小異ではないか。みな、金と権力の亡者になっている。そしてアメリカと同じ道を確実にたどっている。己の富のために他人の健康もかえりみない食品関係業者たち、自らの利権を守り、選挙に勝つことしか考えていない政治家たち、そして身内のためならば、金のためならば正直に努力する人間も退けて不正な手続きを続けてきた教育者たち。人間の煩悩がこれほどまでに露骨に表れ続けている今日この頃。自分がやっている舞台が、果たしてどんな役にたてるのか、果たして自分がやっていることがこのような風潮の前でどんな意義があるのか。本当に悩んでしまった。一人でも若者が夢を持って、自分の好きな道を選べるように、そして表現することの喜びを知ってもらおうとがんばってきたのだが、こんな腐りきった恥知らずの大人たちに始終囲まれていたら今の青少年に夢を語れるだろうか?目先の利益、損得を無視して好きなことに励む素晴らしさを、こんな社会が果たしてうけいれてくれるだろうか。本当にどうしたらよいのだろうか。
公務員は何をやってもやらなくても罰せられることはない。たとえ、それが人命にかかわることでも。そしてそいつらはおよそほとんどが人生をエリートとして歩んできたものたち。学校が理想とする学生たちの成れの果てだ。だとしたら今の学校制度ってなんなのだろうか。勝ち組になるための手段?人を蹴落としてまで自分の利益をむさぼる人間製造工場? 今本気で日本の進路を考えなくてはならないときだと思う。西洋一辺倒に制度を踏襲してきたツケが回ってきたような気がする。前回書いた世界ランキングの直後に矛盾するようだが、やはり今学校の意義がもっと問われないと行けないと思う。(これは必ずしも世界ランキングの示す研究業績を軽視しているわけではない。果たしてみなが皆同じ制度で学ぶ必要があるのかということだ。)どこかに無理があるような気がしてならない。多重知能、EQという考えがあるが、学校教育の開発しようとしている知能は本当にごく限られた範囲のものでしかないはず。だとしたら今もっと多彩なシステムがあってもよいのではないか。 よりよい人類のために使われる知能を育成するシステムがあってもよいのではないかと思う。具体的なことはわからないが、でもきっとそんなシステムがあれば、もっと世の中のためになる人間育成ができるような気がする。そのためにはそんな志がある人間がたくさん集まる必要がある。こんなことばかり考えてたらいつの間にかブログがストップしてしまった。明日は富山だ。

2008-09-24 11:17 | ひとりごと | コメント(1)

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